【ハイキュー】駒鳥が啼く頃、鐘は鳴る【木兎&赤葦】
第6章 冬霞
Do not hope without despair, or despair without hope.
昔読んだ、ローマ帝国の哲学者セネカの本にあった言葉だ。
二夜連続で衝撃的な事実を知らされた次の朝、目を覚まして一番に口を突いて出たのがそれだった。
「絶望を無くして希望は無い。希望を無くして絶望は無い」
昨日はあれだけ暗い気持ちだったのに、今日の朝は八重に希望を与えるように明るく、思わず笑みが零れる。
「セネカの本を読んだ時、“何言っているの、この人”って思ったのにな」
希望が無くなることを絶望と呼ぶのだとしたら、その二つは絶対に共存しないはず。
そう思っていた。
「でも、今ならセネカの言わんとしていることが分かるような気がする」
絶望を知っているからこそ、人は希望の重みを知る。
そして希望を知らない人間には絶望が存在しない。
彼にとって絶望の苦しみは当たり前で、不変のものだからだ。
「光太郎さんはきっと、自分が日美子様の私生児だと知った時、少なからず絶望を感じたはず」
木兎家の血を引いていない。
本当に愛する人と結ばれることができない。
それでも彼は明るく振る舞い、八重を希望としてくれている。
「そして私も絶望を知っている」
労咳で成す術もなく死んでいった両親たち。
医学がもう少し進歩していたら・・・と、虚しいことを考えて涙する日々だった。
自分も後を追おうとすら思った。
それでも今、光太郎が八重の希望となってくれている。
「どんなに暗い夜にも必ず朝は訪れる」
きっと道はあるはずだ。
木兎家を守り、木兎家に関わる全ての人間を幸せにする道が。
「運命の歯車が狂い、絶望の中にいる人達の希望となる・・・それこそ私がこの家に来た本当の意味だ」
八重は朝陽が細く差し込むカーテンの隙間に目を向け、曇りの無い心でニコリと微笑んだ。