【ハイキュー】駒鳥が啼く頃、鐘は鳴る【木兎&赤葦】
第5章 菊合
「───八重ちゃん」
八重の二の腕を掴み、自分の方に引き寄せた黒尾。
それは一瞬の隙を突いた出来事で、流石の赤葦も反応が遅れてしまう。
そして黒尾の唇が八重の耳元に寄せられた瞬間、不思議な甘い香りが彼女の鼻先をくすぐった。
「・・・赤葦京治には気を付けろ」
八重の鼓膜にだけ届く、小さな声。
───何・・・どういうこと・・・?
「木兎が何を言おうと、この男だけは信用するな」
自分の背後で何が起きているかを察知した赤葦が、数秒遅れて八重と黒尾の方を向いた。
同時に、梟が鋭い翼を広げるように腕を伸ばし、八重の腕を掴んでいた黒尾の右手を鷲掴みにする。
ただ、黒尾が八重に言った言葉は耳に入っていないようだった。
「・・・八重様に触るな」
今度ははっきりと怒りを露わにした赤葦。
黒尾はニヤリと笑うと、八重から手を放し、口元を嘲笑の形に変える。
「お前はもはや、家令というより用心棒だな」
「主人をお守りするのも私の役目です」
「“姉の時”は何も言わないくせに、八重ちゃんは許さないのか。流石、家令様はご立派だな」
「・・・痛い目を見たくなければ、今すぐお帰り願います」
それとも卑しい黒猫は、梟の鋭い嘴で八つ裂きにされないと分からないのか?
赤葦と黒尾の間に緊張が走る。
八重は何もできず、ただ二人を見守ることしかできなかった。
誰か・・・闇路や男の使用人を呼んだ方がいいだろうか。
しかし、先に折れたのは黒尾だった。
「悪かったよ、赤葦。お前の大事な八重ちゃんに触っちゃって」
「・・・・・・・・・・・・」
「馬車、ありがとな。木兎にもよろしく伝えておいてくれ」
そう言って黒尾が赤葦のそばから離れた瞬間、それによって生まれた僅かな空気の流れに、ある“香り”が乗ってくる。
それは先ほども八重の鼻先をくすぐったもの。
しかしその正体を確かめる暇を与える前に、黒尾はヘラヘラと二人に向かって頭を下げると、馬車が待つ玄関の方へと歩いて行ってしまった。