第3章 下
一松弁護士に保護された私は、彼の事務所で少し事情を聞かれた後、自分のアパートまで送り届けてもらい、実に一年ぶりとなる我が家の扉の前に立ったのだった。
あまりにも久しぶりの帰宅になるものだから、洗い残したままにしていた食器やら洗濯物やらの惨状を想像するのも怖かったし、生ゴミもそのままだったから、もしかしたら空想上の産物である「ゴキブリキューブ」なるおぞましい物体が生成されている可能性だってあることを想像し、ブルッと身体を震わせた。
(家の中がどんな風になっているのか、考えるだけで恐ろしい・・・)
自分の家に対して向けるものではない緊張感を抱きつつ、ゆっくりと玄関の扉を開くと、目に飛び込んできたのは意外なほど「見慣れた私の部屋」だった。
一年前の朝出て行った時のまま、そう、まるで今朝普通にこの家から出勤して、勤務を終えて帰宅したみたいな、そんな感覚を覚えるほど何もかもが元通りのままだった(洗い物はキレイに片付いていたのだが)。
「大丈夫ですか?」
後ろから鈴の音のような可愛らしい声がかけられて、私の固まっていた身体が動き出す。
声をかけてくれたのは、一松弁護士事務所の事務員である弱井さんだ。誘拐・監禁というショッキングな出来事に巻き込まれた私を気遣って、一松弁護士はわざわざ自分の車でここまで送ってきてくれたのだ。だが初対面の男と二人きりで車に乗るのでは、今の私には辛すぎるだろうということで、同性の弱井さんも付き添ってくれることになったのだ。
自分のようなむさくるしい男が部屋にまでついて行くのははばかられると、一松弁護士は今、アパートの前に停めた車の中で待っている。
そんな二人の優しい気遣いに対して私が感じていたのは、「申し訳ない」という気持ちだった。
なぜなら私はこの一年間、辛い思いなど一度もしなかったのだから。カラ松との生活は、二人が思っているようなショッキングなものではなくて、どこの幸せ夫婦だろうかとつっこみたくなるほどに穏やかで、心満たされるものだった。