第1章 上
あの日は閉館間近になってから、カラ松はやってきた。
カラ松は、朝に来ることもあったし、昼でも夜でも来た。調べたいことがある時にはいつでもすぐに調べたいタイプなのだろうと思っていたので、それほど珍しくも感じなかった。
「もう閉めてしまうだろうか?」
申し訳なさそうにカウンター越しに声をかけてくるカラ松は、少しだけ、甘えるような顔をしている。ただでさえ人目を引く整った顔立ちをしているのに、こんな子犬のような顔をされてしまっては、私に抗う術などないではないか。
「片付けのためにもう少しだけ残っていますので、私がいる間くらいなら大丈夫ですよ。でも、秘密ですからね」
しいっ、と人差し指を唇の前で立てて見せれば、彼の大きな瞳が、宝石のようにキラリと輝いた。
思えばあれが、その後の彼の行動の引き金になってしまったのかもしれない。
「いや~、ありがとうございました。急ぎで調べたいことだったので、本当に助かりました」
「いえ、良かったですね」
貸出処理をした本を小脇に抱えて明るく笑う彼の横で、帰り支度を済ませた私は小さく頷いた。
そんな私を見下ろしているのだろう。彼の視線を感じた。
決してぶしつけではないが、彼の美しい瞳に私ごときが映りこんでいるのかと思うと、いたたまれなくなった。
早く帰ろう。そう思って足を踏み出そうとした時、上から落ち着いた声が降ってきた。
「どうです、これから食事でも行きませんか?是非お礼をさせてください」
「え?」
思わず、きょとんと上を見上げてしまう。
「いえ、そんな、お礼をしていただくほどの事では・・・」
困惑の色がありありと出てしまっていたのかもしれない。彼は少し困ったような顔をして鼻の下を指でこする。
「いえ、僕がお礼をしたいのです。それに・・・」
「?」
「実は、ずっと貴女のことが気になっていたんです。こんなチャンスが巡ってくるなんて、今日はラッキーだな」
照れくさそうにポリポリと頭を掻くカラ松の、はにかんだ笑顔を見た途端、ドクンと心臓が止まりそうになった。
自分でも気づいていなかった、胸の奥で塞き止めていた想いが、一気に溢れ出してしまったかのようだった。
「行きませんか?」
「・・・はい」
太陽のような笑顔を浮かべて差し出された大きな手を、断る事なんてできるはずがなかった。