第2章 たとえば、君に触れる倖せ【夢100/アピス】
「わたしはアピス王子と出会ったばかりです。まだお互いのことを何も知りません。肩書だけならば、わたしとアピス王子が婚約し、仮に結婚することになったとしても、何の問題もないでしょう。しかし、国のためとはいえ、一生を左右する繊細な話です。わたしの意見だけではなく、アピス王子の意見も必要ではないでしょうか?」
どこまでも謙虚に、どこまでも相手を立てることを忘れない。
母が息子を想っての提案である。
それを分かった上で、考える時間が欲しい……と。
結婚は王妃ではなく、アピスがするものなのだから。
そこにアピスの意思が介在するのは当然のこと。
王妃の意見だけでは受け入れられない。
暗に、詞織はそう言っていた。
申し訳ございません。
謝罪など必要ない、至極真っ当な話である。
頭を下げた少女の瞳は、やはり気遣わしげに揺れていた。
「詞織……」
アピスの口からは自然と少女の名前が出る。
彼女の名前を呼んだのは初めてだと気づいて、彼はフッと肩の力を抜いた。
王妃の突然の婚約の申し入れに驚いたのも事実だが。
それ以上に、他人の為にここまで心を砕ける少女の優しさに驚いていた。
「まったく……おせっかいだね、君は」
笑みが零れる。
生まれて初めて、心の底から笑えた気がした。
そうでしょうか、と詞織がはにかむ。
その笑顔は、まるで夜空から降り注ぐ月光のように輝いていて……そのとき。
茂みが微かに音を立てる。
耳が良いのは国柄なのか、一番に反応したのは詞織だった。