第2章 たとえば、君に触れる倖せ【夢100/アピス】
――翌日。
穏やかに晴れた空の下、アピスは中庭の木陰でフルートを吹いていた。
晩餐会で演奏する為の練習と、自分の気を紛らわせる為。
母から習わされた中で、唯一気に入ったものだ。
母親の愛情を知らずに育った詞織と、母親から過度の愛情を受けている自分。
羨ましそうに話していた少女を蔑ろにしてしまったことに、少しだけ罪悪感を覚えた。
昨日、枯れた花を蘇らせた歌を思い出す。
美しく、どこか物悲しい旋律は、眩しい笑顔を浮かべる少女には似合わない。
雑念が混ざり、フルートの音色が微かに乱れる。
朝から身体が怠かった。
それでも、晩餐会を主催する人間として、休むわけにはいかない。
つまらないご機嫌取りでも、こちらの都合で中止にすれば、国の品位が疑われる。
不意に人の気配を感じて、アピスはフルートから唇を離した。
フルートの音色に釣られたのか。
詞織は、黒い髪を風に遊ばせて立っている。
どう対応しようか。
昨日は、かなり冷たい態度を取ってしまった。
考えたのは一瞬で、アピスはフルートを下ろし、柔らかな微笑を浮かべて見せる。
「どうかしましたか、プリンセス?」
完璧な王子として応じると、詞織は申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません、お邪魔をしてしまって」
「構いませんよ。ちょうど休憩したいと思っていたところでしたので。今日は晩餐会ですからね。練習しておかなければ」
そうでしたか、と相槌を打つと、少女は困ったように笑う。
「それにしても、『プリンセス』は止めて下さい。そんな大層な人間ではないので。詞織でいいですよ。話し方も、楽にして下さい」
すぐ上の兄も、身内と外とで雰囲気を変えるのだと、詞織は話した。
帰って来るとぐったり疲れているらしい。