第2章 たとえば、君に触れる倖せ【夢100/アピス】
「アピスでいいですよ。サキアは呼び捨てにしていたでしょう?」
モルファーンの王子であるサキアとは、砕けた口調で話していたのを聞いた。
すると詞織は、「聞いていらしたのですか」と微かに頬を赤らめる。
「サキアはあまり年上のようには感じられませんから、つい……」
確かに、毒薬の研究に没頭し、寝食を忘れて研究室にこもってしまうサキアは、毒薬の国の王子の中でも自分に次いで年長だとは思えない。
目が隠れるほど前髪を伸ばし、服をだらしなく着ている彼の姿を思い出し、「確かにそうですね」とアピスは苦笑した。
「さぁ、城はもうすぐそこです。参りましょう」
「はい、アピスさん」
にっこりと微笑む彼女は、今まで見た貴族の令嬢たちと比べて、あまりにも無邪気で眩しい。
きっと、何の苦労も知らずに育ったのだろうな、とどこか冷めた気持ちになりながらも、笑顔だけは崩さないように気をつけた。
「我が国は美しい花が多く咲いておりますが、それに寄ってくる虫たちも多い。毒を持つものもいるので、くれぐれもご注意くださいね」
そこへ、ブゥンと聞き慣れた音が耳に届く。
蜂の羽音だ。
それに気づいたときには、すでに目前へ近づいていた。
「アピスさん、危ない……!」
伸ばされた詞織の手。
一瞬だけ触れたその温もりに、ぞわりと悪寒が走る。
「触るな……っ!」
反射的に、アピスは少女の小さな腕を払い除けてしまった。
驚いた詞織が、黒水晶の瞳を丸くする。
二人の間を流れる冷たい空気に、蜂はどこかへ去っている。
しまった、と思うのと同時に、アピスは取り繕うような笑顔を浮かべた。