第8章 To embrace…
その後、健永と衣装について打ち合わせがあると言って楽屋に上がった智を見送り、俺は雅紀と一緒に音響ルームと、照明設備を見て回り、最後に真新しくなった客席用のシートに腰を下ろした。
座り心地は悪くない。
寧ろオナニー目的で来る客に座らせるには、贅沢だとさえ感じるくらいだ。
シートに深く腰を沈め、数段高い無人のステージを見上げ、そこに智が躍る姿を思い浮かべる。
「最高だろうな、ここから見える景色は…」
「だろうね…」
同じように俺の隣に座った雅紀がポツリ言う。
実際、俺も雅紀もこの位置から、ステージ上で踊るダンサー達を見たことは、リハーサルを除いて一度もない。
いつも舞台袖か、雅紀に至っては捥ぎり(もぎり)の仕事もあるから、公演中ホールに立ち入ることは殆どない。
当然ニノのステージも目にしたことはない筈だ。
「ニノの奴な、もうステージには立たねぇって…」
「そっか…、残念だったな、一度くらいステージ見とけばよかった…」」
きっとそれが雅紀の本音んなんだと思う。
そう思ったら、俺は雅紀に対して無性に申し訳さを感じて…
「悪かったな、役に立てなくて…」
張り切って恋のキューピッド役を引き受けたくせに、二人を結び付けてやることが出来なかったことを詫びた。
すると雅紀はそっと瞼を伏せ、首を横に振り、
「翔ちゃんのせいじゃないよ、元々縁がなかっただけだよ」
まるで泣き笑いのような笑顔を浮かべた。
俺はふと雅紀のその横顔に、自分の姿を重ね合わせた。
もし…、もしも智が突然姿を消したら…
その時俺は、今の雅紀のように冷静でいられるだろうか?
勿論、俺の前だからと、平静を装っているだけかもしれない。
でも少なくとも俺は、こんな風に穏やかではいられないだろうな…
普段はただ明るいだけの奴だが、こと恋愛に関しては、俺なんかよりよっぽど雅紀の方が大人だな。
それに比べて俺は…
恋のイロハも知らねぇ、ガキと同じだな…