第8章 To embrace…
俺はマンションの管理人に解約の連絡だけを入れると、クローゼットに私物が残っていないかの確認を済ませ、ベッドの端に座ったままの智を振り返った。
「行くぞ?」
「ああ、うん…。あの、さ…、悪ぃんだけど、手ぇ貸してくんね?」
人に甘えることを極端に嫌う智が、俺に向かって手を貸してくれと言う…
それが何を意味するのか、俺はその時になって漸く気が付いた。
自分の足で立って歩けない程、乱暴に扱われた…、ってことなのか、智?
喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
智が話さない以上、俺がその言葉を口にすることは出来ない。
俺と智との間に出来た暗黙のルール。
そのルールを破る時…、それは俺達の関係が終わる時だ。
尤も、智は俺がそんな風に思ってるなんて、夢にも思っちゃいないだろうがな…
「仕方ねぇなぁ…」
わざと面倒臭そうに呟き、智に向かって手を伸ばす。
智は躊躇うことなく俺の手を取り、ゆっくりベッドから両足を下ろすと、俺に凭れかかるように抱き付いた。
「ったく、ほらよ…」
ともすれば倒れてしまいそうになる身体を、俺は両手で抱き上げると、住人のいなくなった部屋を後にした。
「どうする? 買物でもして帰るか?」
車に乗り込んですぐ、俺は今の智が到底出来そうもないことを口にした。
忘れた頃に湧き上がって来る怒りを鎮めるには、平然を装うことしか出来なかった。
「…いい。あんま腹減ってねぇし…」
「そっか…。でもな、お前は腹減ってなくても、俺は超絶腹減ってんだよ」
「あ、そっか朝飯…。悪ぃ…」
思い出したように顔を向けた智の額に、俺は一つだけキスをすると、視線を車窓へと向けた。
「いいよ、途中で何か買えば…。それにお前も何か腹入れとかないとな?」
お前の顔色見ただけで、何も食ってねぇことくらい、俺には分かるから…