第5章 Time…
有無を言わさず楽屋に智を放り込んだ俺は、早々に智を鏡の前に座らせると、衣装やメイク担当の健永を呼び付けた。
若いが、ヘアメイクの専門学校も卒業していて、腕が立つ上に、センスも中々の男だ。
「急で悪いが、コイツにメイクしてやってくんねぇか? それから、衣装も見繕ってやってくれ」
「OK、任せて下さい。超美人さんに仕立てますから♪」
「おう、頼むわ。じゃあな、智」
呆然とした表情のまま鏡の前で固まる智の肩を叩くと、ほんの一瞬…だけど、鏡越しの智の瞳が大きく揺れた。
不安…なんだと思った。
それもそうだよな、意味も分からないまま劇場に連れてこられて、いくら抵抗がないとは言っても大衆の前で裸になんなきゃいけさないんだから…
不安にならない方がおかしいか…
「悪い、一瞬だけ席外して貰えるか?」
智の髪をブラシで梳かしていた健永に言うと、勘の良い健永は俺の意を察したのか、静かに楽屋を出て行った。
「翔、俺やっぱ自信ねぇよ…」
ドアが閉まった途端に泣きごとを言いだす智。
俺はそっとその小さな背中を包み込むと、揺れる瞳を鏡越しに見つめながら、
「いいか、智? お前なら出来っから…」
根拠なんて何にもない。
俺にあるのは、ただの”勘”だけ。
それに俺にはある思いがあった。
いつまでも過去の亡霊に囚われて、死しか見えていない智に、どうしても前を向いて欲しかった。
虚ろで、精彩を欠いたその瞳を、少しでも輝かせてやりたかった。
それが例え智が望まないことだったとしても…
「おまじない、してやろうか? 目、閉じてみ?」
鏡の中の智が、ゆっくり瞼を閉じる。
俺はその顔を両手で挟み込んで、乾いた唇に自分のそれを重ねた。
それが、智との初めてのキスだった。
そしてその儀式は、今も変わらず続いている。