第26章 Missing heart…
智が…いない…?
そんな筈はない、酒と、上島自身が身に着けているであろう、どぎつい香水の匂いに紛れて微かに漂う、俺にしか分からない智の甘い匂い…
智は確かにここにいる。
「嘘だ…、智はここにいる。智に会わせてくれ」
「君も一杯どうだい? まあ、これでも飲んで落ち着きなさい」
更に詰め寄る俺を意に介すことなく、上島は俺に向かってワインで満たしたグラスを差し出してきた。
当然だが、俺にそれを受け取る気はない。
「やれやれ…、そんなにあの子に会いたいか?」
頑なに拒む俺に愛想を尽かしたのか、上島はグラスに残っていたワインを一気に飲み干すと、空になったグラスをテーブルへと戻し、大袈裟な溜息と共にソファーから腰を上げた。
「仕方ないね…、会わせてやるよ」
そう言って部屋の奥…、恐らくは寝室になっている部屋だろう…、ドアの前に立った。
「えっ、でも貴方はさっき智はここにはいないと…」
「ああ、言ったよ? ”君の知っている智”はここにはいない、とね?」
上島が何を言っているのか、その言葉が何を意味するのか、必死で考えようとすればするほど、今にもショート寸前の思考回路が混乱する。
「ああ、それから…、あくまで会わせるだけだから…。あの子は大事な商売道具なんでね」
「どう…いうことだ…。商売道具って…、なんなんだっ…!」
頭の中で何かが弾けたような気がして…
気付けば俺は、上島の胸倉を掴み、その醜く肥った身体を壁に叩き付けていた。
「フ、フンっ…、会ってみれば分かるさ。尤も、あの子は君のことなんか覚えちゃいないだろうけどね…」
俺を…覚えていない…?
智が…俺を…?
「嘘だ…、そんな筈はない…。智が俺を忘れるなんてこと…絶対にありはしない…」
譫言のように呟きながら、俺は上島の胸倉を掴んだ手を解くと、床に這いつくばって激しく咳き込む上島を尻目に、寝室へと通じるドアのノブに手をかけた。
ともすれば滑ってしまいそうな程の汗を手のひらに感じながら、俺はゆっくりとドアノブを捻り、そっとドアを開いた。
すると途端に甘酸っぱいような、独特な匂いが溢れ出し、俺は思わずジャケットの袖で鼻と口を覆った。