第20章 Omen…
それからはまるで、意識の遠くの方で話を聞いているようで…
「大丈夫かい?」
いつの間にか場所を移動した近藤に肩を抱かれるまで、俺は声を発することも出来なかった。
「あ…、はい…、大丈夫…です。あの…っ…」
俺は膝の上に置いた手に拳を作ると、すぐ隣にいる近藤の顔を覗き込んだ。
「ん、どうした?」
“また会ってくれますか…?“
そう言いたいのに、こんな時に限ってルールってやつが脳裏をチラつく。
客がまた指名したくなるよう仕向けるのは許されていても、俺達の方から客に指名を促すことは、固く禁止されている。
「いえ…、なんでもありません。今日はわざわざ時間を作って頂き、ありがとうございました」
俺は近藤に頭を下げると、瓶の中に残ったビールはそのままに席を立った。
「いや、こちらこそ君と話せて良かったよ。また何か気になることがあれば、彼…光君だったかな…、連絡をくれれば時間を作ろう」
近藤からの願ってもない申し出に、胸のつかえが少しだけ軽くなった俺は、再度近藤に礼を言ってホテルの部屋を出た。
マンションに帰った俺は、エレベーターを待つのももどかしくて、三階までの階段を駆け上がった。
普段なら確実にエレベーターを待つ俺なのに…
どうしてだか気が急いて仕方なかった。
あんな思いをさせられたのに…
顔だってまだ痛むのに…
一刻も早く智の顔を見たかった。
右耳が聞こえなくなったことを誰にも打ち明けることも出来ず、きっと一人で苦しんでいるに違いない…
そう思ってドアを開けた俺の目に飛び込んで来たのは…
「何…これ…」
一瞬、入る部屋を間違えたかと思うような散らかった部屋に、靴を脱ぐことも出来ず呆然と立ち尽くした。
「さ、智…?」
狭いダイニングを見回しても、智の姿はどこにもなくて…
今日は仕事入ってないって言ってたのに…
俺は靴を脱ぐと、割れた食器の破片を避けるように、僅かな隙間を縫って寝室のドアを開けた。
「智…? いるの…?」
真っ暗な部屋に問いかける。
でも返事はない。
寝てるんだろうか…
いや、でも昨日だって、それに今日だって…、十分過ぎる程睡眠はとれてる筈…
不安に感じながら、俺は壁のスイッチを押した。