第1章 駆ける兎の話
履きたければ?
明らかに衣裳に合わせて仕立てられたらしい沓なのに、何でそんな事言うんだろう。
伝言した妹猫も、呑み込めていない顔をしている。
「必要なければ、履かなくていいそうです」
「履かなくていい?」
まさか。履くに決まってる。
私たちはお父様にもお母様にも滅多と会えない。
対面してお話するなんて事は今まで数える程しかなかったし、一緒に歩いたり、添い寝して貰ったり、泣いているのをあやして貰ったりなんて事も勿論ない。
私たちは私たちだけで、奥宮で育って来た。女官や官使らに助けられて、様々な師に学んで、姉妹同士交わりながら。
だからお母様から頂く文や贈り物はそのまま宝物。どの姉妹も、そういう贈り物を大切にしているのを私は知ってる。私だってそうだ。
土は香国とその属国では忌み地だ。
私はその土の子だから弾かれる事もあったけど、でも、奥宮で姉妹たちと過ごせて良かったと思う。外で生きていればもっと酷い目にあったろうし、お母様たちの干渉があれば、私はもっと辛い立場にあったんじゃないかな。
今ある姉妹の関係も随分変わっていたかも。
そんな奥宮暮らしでお母様に会えないのは慣れているけれど、今度ばかりは寂しい。お母様に見送って貰いたかった。
「…必要ないなんて事、ある訳ないのに…」
何の事情があるのかはわからないが、挨拶も出来ず、祝いの席で顔を見れない。このまま土へ行くのなら、この沓をお母様から頂いた意味は何倍にも大きくなる。それがわからないお母様ではないだろうに。
きゅっと唇を噛んで沓を履き替える。額隠しをきつく締め直して、私は妹猫を促した。
「行きましょう」