第1章 駆ける兎の話
「何を脅えているのです?人の上に立とうとする者がそんな事でどうします。…ふ…」
滑らかな眉間に微かな皺を刻んで、貴白がまた息を吐くような笑いを洩らす。
「あなたの国に茘枝は生るかしら」
「…多分」
何度か贈られてきた荷に茘枝があった事を思い出し心許なく頷くと、貴白がくっと口角を上げた。
「では国に帰ったらば私に茘枝をお送りなさい」
「茘枝を?でもそれなら果樹の国が…」
「果樹の国の茘枝は高価。宮でも祭事か祝い事がなければ卓に上らないでしょう。けれど果樹を通用出来ない土ならば、代価を求める事は禁じられている筈です。つまり、これは飽くまで私への贈り物」
確かに他国の領分を侵す事は厳しく禁じられているから、土に茘枝があっても売る事は出来ない。果樹は土の領分ではないから。
「もしないと言うのなら、お植えなさい」
「え?」
「植えるのですよ。私の為に」
「馬鹿言え。兎速を虐げて来ながら何だ、その図々しい言い分は」
呆れ顔の狼娘が割って入った。
「兎速。国に帰って最初にやる事が決まったな。茘枝を見付けたら片っ端から引っこ抜け。今後一切茘枝の繁茂を許すな。あれだけお高く止まって穢れ呼ばわりして来た土の茘枝を食いたがるとは、頭が弛んだか。貴白」
「土への理不尽な侮慢は作為に依るもの。私が兎速に辛く当たって来たのは本意からではない。野蛮でも愚かではないあなたなら分かっているんじゃなくて、狼娘」
「場を弁えろ。今が今話す事じゃない」
スッと顔色を改めて言い放った狼娘に貴白が笑いかける。
「陶器は土から生まれる。土は私たちの国にとって欠くべからぬもの。それを知らない私だとでもお思い?」
狼娘は無言だったけれど、私は驚いた。貴白は私に笑いかけ、また狼娘に目を戻した。
「郷に入っては郷に従わねば居辛いし、長いものには巻かれておかねばならないわね。殊、属国の身にある私たちなら尚の事」
「なら兎速に下らぬ事を強いるのは止めるんだな。お前の望みを叶えれば土は香国の則に逆らう事になる」
狼娘の目が見た事のないような色を湛えて貴白を見据えた。
妹猫が私の袖に縋るように掴まってきた。慰めてあげたいとは思ったけれど、私も誰かに掴まりたいくらい緊張してしまって、動けない。
「ふふ」
貴白が胸元に挿した扇をスッと抜いて、口元に当てた。
「残念な事」