第1章 駆ける兎の話
そんなのは誰よりよく私がわかってる。誰に物を言ってるのよ。私は土の国の血を継いでるんだから。知香のおせっかい。何が尊い働きよ。土が怖くて敷布がなきゃ園庭にも出れないくせに。
「止せ、知香。こいつは最近終始ぼんやりして人の話を聞いてもいない」
狼娘に言われたくない。勝手で気儘で、男より上手く馬を乗りこなし、男より腕っぷしが強い狼娘は北の戦闘民族の血筋だから、兎に角気が強い。気に入らなければ人の話になんか耳を貸さない。…知香にだけは、違うみたいだけど。
「縁定してむしゃくしゃしてるのか?国に帰るのが厭なんだろう」
柘榴の実を毟って口に放り込みながら無神経に言った狼娘に、カッとなる。バンと箸を置いて席を立ったら、他の姉たちの上げる小波のようなクスクス笑いが泡立った。
「何が厭なものですか!私はこの中じゃ一番に縁付いて国に帰るの。私に較べたらあなたたちなんか皆嫁き遅れじゃない!」
大きな一枚板の卓を見回して声を上げると、小波が引いた。ツンと鼻を上げてもう一度卓を見回すと、一番目の姉、沈梅(シンバイ)が可笑しそうな顔をして笑いを堪えているのが見えた。
私の視線に気付いた沈梅は、咳払いして杯の水を口に含み、笑いを引っ込めて肩を竦める。
「各々国の仕来りがあるのは皆が承知の事です。軽々しく人を貶めるような物言いをするものではありませんね、兎速」
沈梅は学士の国の血を継く。学士の国は婚期が遅い。人として成らねば親になる事が認められないからだ。だから沈梅は三十に手が届こうという年頃なのに嫁す事もなく、日がな一日本を読み、ぶらぶら奥宮の園庭を散歩して海月のように気楽に過ごしている。あれでは何時になったら人として成るのか見当もつかない。死ぬ迄姉妹の暮らす奥宮にいてふらふらしているのではないかと思う。
居るか居ないか分からないような沈梅は兎速にとって全く関係のない長姉で、全然興味が持てない相手だ。持てないが腹は立つ。学士の国の女だけに弁が立ち理を通して話すから、いざ口を開けば兎速は歯が立たないし、苛々するような事ばかり言って来る。
「沈梅なんか一番の嫁き遅れ…」
言いかけたら狼娘が割って入って来た。
「兎に角婚礼まで後七日、兎速はせいぜい大人しく女を磨いておくんだな。こんな生意気な跳ねっ返りを突っ返されても困る」
「狼娘」