第1章 駆ける兎の話
知香の事、私はむしろ嫌いだと思う。嫌いと言うか…好きだけど…嫌い。嫌いだけど、好き…?
何処にもない助けの手を探してきょろきょろする。姉妹たちは困ったような決まり悪げな顔をしていて、多分皆私と同じような気持ちでいるんだろうなと思った。助けを求めてる。
ふと貴白のところで目が止まった。貴白は滑らかな茶器でお茶を淹れながらうっすらと笑っていた。傲慢で意地悪な笑み。
思わず私は立ち上がって知香の傍に行き、その手を引いた。
「おいでよ。四阿で涼もう」
知香がびっくりしたように赤い目を瞬かせた。私だってびっくり。知香と手を繋いだのなんて初めてだ。しかも自分から知香の手を取るなんて。
「泣いてたの?」
手を繋いで歩きながら小さく聞いたら、知香は泣き腫らした目で私を見た。
「そうよ、泣いていたの」
答える声が震えていた。
「狼娘が行ってしまったのが寂しい?」
「そうね。とても寂しいわ。あなたも行ってしまうしね、兎速」
何て答えていいかわからない。
そんな事でずっと泣いてるなんてと苛立つ気持ちと、何となくくすぐったくて、でも寂しい気持ち。上手く言葉に出来ないから黙って知香の手を握り直して、四阿を目指した。
彩楼に仕立てられた四阿に沈梅の後ろ姿が見える。
誰かと話してる。五色の布に飾られた四阿の屋の下は薄暗い。今日の祭事を切り回す女官か、それともお父様から古詩の写本の催促の使いでも来たのか。でも七姐誕の夜にお父様がそんな無粋な事をなさるだろうか。
誰と話しているんだろう。
知香の足が止まる。
「お腹が空いたわ。私、昨日の夜から何も食べてないの」
それは駄目だ。私は沈梅と話す人を透かし見るのを止めて踵を返した。
「七姐誕だからお菓子ばかりなんだけど…お粥でも頼む?」
「醴が呑みたいわ」
醴はお腹に優しいし、お粥と麹で出来てるだけに栄養がある。
「だったら温かい醴を頼むね。後は何が食べたい?知香、顔色が悪いわ。お部屋でご飯にする?」
知香の、柔らかいけれどかじかんだように冷たい手に、きゅっと力が入った。
「ありがとう。優しい子ね。でも大丈夫。今の姉妹たちと迎える最後の七姐誕になるかも知れないんですもの、皆と居たいわ」
「…また誰か縁定したの?」
降れば土砂降りと言った沈梅の言葉が思い出された。
「ええ」