第1章 駆ける兎の話
遊華と仲の良い商人の国の涼快が遊華を手招きする。算術が得意で食べる事が好きな涼快は、おっとりし過ぎて沈梅みたいに周りに無頓着なところがある。今も険しい顔をした遊華の様子に気付きもせず、呑気で楽しげにしている。
「いいから座って、遊華」
手を離して言うと、遊華は躊躇いがちに自分の席へ座った。涼快が早速取り分けた菓子を遊華に回してやる。
ぐるりと見回すと、私を見て笑っている姉妹と何も気付いていない姉妹がはっきり分かった。気付いていない姉妹より笑っている姉妹の方が多い。
それはそうでしょうよ。アンタたちは土が大嫌いなんですものね。穢れた私なんか、放っておけばいいのに馬鹿みたい。
ぐらぐら頭が湧いた。腹が立って悔し涙が滲む。大好きなこの香国での最後の七姐誕に、こんな仕打ちを受けるなんて。
含み笑いする紫珠と、取り澄まして扇を扇ぐ貴白と目が合った。
わからない。土はそんなにも忌み嫌われなければならないものなのだろうか。
本当に?
「どうしました?具合が悪いのですか」
ぽんと肩を叩かれた。涼快より尚呑気な声が掛かる。沈梅だ。
「具合が悪いなら黃酒でもあおって早いところ寝てしまった方がいいですよ」
言いながらひょいと卓を見た沈梅は、私の椅子のあるべき場所に何もないのに気付いて眉を上げた。
「ああ、成る程」
苦笑いした沈梅が卓を回り込んで自分の席から椅子を持ち上げた。呆気にとられる姉妹たちを尻目に、私の前にその椅子を据える。
「全く馬鹿馬鹿しい真似をする」
黃酒の杯を取り上げ、沈梅は髪に挿した合歓の花を外して卓に置いた。
「お座りなさい。兎速」
断ろうとして意外に強い手で無理に座らされた。
「あなたは明後日には一国の治世に関わる事が決まっている大事な身の上ですよ。何かあっては困るのです」
「たかが暑気中りで大した騒ぎね。沈梅」
貴白の綺麗だけれど皮肉な声に沈梅は困った顔を向ける。
「勘違いしてはいけません。幾ら位が高かろうと豊かであろうと奥宮の姉妹はただの民草、皇女という身分は所詮仮初めのものでしかありません。あなたたちと縁定して国を治める事が定まった兎速とでは立場が違うのですよ。一国を負う者に傷を付けてその国と争いになったらば、あなたたちにはそれを収める術もない。国を思う気持ちがあるのならば、後難を招きかねない愚かな真似はお控えなさい」