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香国 ー駆ける兎の話ー

第1章 駆ける兎の話



海月みたいに木立に消えた沈梅を見送っていたら、お腹が空いて来た。朝はまともに食べてないし、昼は厨房が忙しくて簡単なものだったし、甘い匂いがぷんぷんするし。

宵の涼風が吹き出した頃、姉妹皆で四阿に集って乞功を願った。五色の糸を通した七孔針をこれもまた菓子や呑み物、そして姉妹がこの一年手ずから裁縫した小物や衣が溢れんばかりに載った祭壇に供える。
着飾った姉妹が楽しげにさんざめきながら祭事に興じるのは見るも美しい景色だった。いつの間にか戻った沈梅でさえ、今は薄紅の合歓の花を髪に挿し込み、耳元に珊瑚の飾りを揺らしている。
月長石の首飾りを品良くつけこなした貴白、橄欖石の綺羅びやかな髪飾りが癪な程似合う紫珠、耳と首に配した紅水晶の花が映える遊華、私も今日はいつもの翡翠の兎に加えて、緑柱石の腕輪をつけた。

何時もの七姐誕だ。

ただ、珍珠をやんわり髪と耳に光らせて笑う知香と、その瞳と同じ色の天藍石の長い首飾りを煩わしげにじゃらつかせていた狼娘の姿が欠けている。

そして次の七姐誕には、私も欠ける。

ぼんやり思い沈んでいたら、背中を強く突かれた。キッと振り返ると遊華の顰め面があった。

「お座りなさいよ。明後日には嫁いでくってのに、窶れ顔じゃ相手方が気の毒だわ。いっぱい食べてさっさと寝たら?」

見れば姉妹たちは早くも席に着き、楽しげに菓子を取り分け始めていた。梨や棗、葡萄の乾果、トロンとした薄荷膏、瑞々しい水茘枝、パンパンに膨らんで熱々の豆沙団子、甘い餡の入った粽、練った米粉を香ばしく揚げた梅枝、肉桂が香る桂心、醴に黃酒、蜜水とお茶、七姐誕の御馳走は女の祭りだけに姉妹の好物ばかりが並ぶ。

「皆お上品な顔して好物が出れば大食いなんだから。呆けてたら食べ逸れるわよ」

人の事言えないじゃないの一言を、大の菓子好きである遊華の顔を見ながらゴクンと呑み込む。それを空腹で呑んだ生唾と思ったらしい遊華が、したり顔で卓に顎をしゃくった。

「ほら、行くわよ」

手を取られてビックリする。荒れてざらざらした遊華の手は、私の手と同じくらい小さくて、ちょっと汗ばんでいた。
遊華にビックリはしたが、卓に近寄って更にビックリした。
私が何時も座る場所に、椅子がない。

「何これ?どういう事?」

遊華が眉を顰めて小声で呟いた。

「遊華。早くお座りなさいよ。お菓子がなくなっちゃうわよ」

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