• テキストサイズ

香国 ー駆ける兎の話ー

第1章 駆ける兎の話



騒ぎを起こしたのは先生じゃない。
それより貴白の言った事が気になった。あれはきっと知香の事だ。泣き伏してるって、どうして?

私の衣裳から汚れを払う先生は何事もなかったような顔をしていて、とても知香の事を聞ける雰囲気ではなかった。

「さあ、行きましょう。歩けますね?」

朝食を終えた姉妹たちがこちらを気にしながら朝の間を出て行く。遊華が顰め面で私を一瞥し、何時も通り平らかな先生の後ろを沈梅が海月の様にふらりと通り過ぎて行った。









医官から僅かに擦り剥けた膝を丁寧に手当てして貰った。
祭事まで陽に当たらないで呑み物を欠かさず、外に居ていいのは半刻だけと言い渡されて、私と先生は園庭の四阿に出た。

「剣戟の求婚には驚きましたね」

色々話したい事はあったけれど、先ず先生が切り出したのは狼娘と月狼の話だった。優しい歌が甦って、私は笑った。

「でも、何だかとっても狼娘らしかった。狼娘はきっと大丈夫と思います」

先生は午上の風に揺れる茉莉花を眺めながら、そうですかと頷いた。風は四阿も吹き通って、園庭の樹花の匂いを涼やかに香らせる。

土の穢れについて聞きたかった。知香の事や卓を囲む姉妹の誰に目を留めたのかも。狼娘の国、先生の国、沈梅、遊華、姉妹皆の国、そして香国の話。
今まで学んだ事も大事だろうけれど、私はもっと色々知りたがって良かったのではないかと今更思う。今問いたい事は先生だって半刻で答え切れるものじゃない。だから、沢山の疑問は、私がこれから自分で調べて答えを出していかなければならない。

「私は先生が好きです」

無性に伝えたくなったから、素直に言った。

「土で誰かと一緒になるにしても、その人は先生のような人だといいな」

先生は茉莉花から私に目を移して、にこっと笑った。

「私などよりもっと優れた連れ合いがあなたに会うのを待っていますよ」

優しいだけじゃなくて何処か厳しげな顔付きから、慰めや誤魔化しじゃない、本当の気持ちをそのまま見せてくれているのがわかる。

「あなたが思うような意味ではないかも知れませんが、私もあなたが好きですよ。そして私にも、あなたのように想う人が居る」

これもきっと本当。

椅子の縁に手を掛けて見上げると、凄く青い空に真白い雲が棚引いていた。大きく息を吸ったら、胸のつかえが落ちたように気が楽になった。

/ 73ページ  
スマホ、携帯も対応しています
当サイトの夢小説は、お手元のスマートフォンや携帯電話でも読むことが可能です。
アドレスはそのまま

http://dream-novel.jp

スマホ、携帯も対応しています!QRコード

©dream-novel.jp