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香国 ー駆ける兎の話ー

第1章 駆ける兎の話



良い匂いで目が覚めた。

あの後室で寝支度をしていたら、遊華が来て薫衣草を置いて行った。沈梅に言い付けられたのだろう。面白くなさそうに香りの良い干し花の束を突き付け、帰り際鼻に皺を寄せて大事にしなさいよね、と言い捨てた。
最後の一言は沈梅の言い付けじゃなさそうで、また少し遊華が好きになれた気がした。

枕辺の小卓に氷の入った蜜水の水差しが汗をかいている。
誰の気遣いか、すぐにわかる。

知香だ。

水差しの傍らに添えられた綿布から知香の残り香が香った。百合。

手触りの滑らかな掛け布に指を滑らせて窓表を見る。園庭の樹花に夏の朝陽が差している。晴天だ。

後三日でここを出て行く。それがどういう事なのか、まだよく分からない。分からなくても行かなければならない。

土では女児が下帯を赤く染めれば、それが幾つであろうが適齢とされる。今まで王の居なかった土だから、兎速が適齢を迎えれば話が進むのは早い。誰が迎えに来るのか、いや、来ないのかも知れない。もしかしたらひとりで土に向かう事になるのかも。
何もかも初めてで前例のない事だから、誰かに助言を求めるのも叶わない。余程の事がない限り父母には会えないし、今こそ余程の事と思うのだけど、引き継ぎを頼んでも侍従長も女官も首を振るばかり。

先に何があるのかわからないから、考え事するか、失くしてしまうものにばかり頭がいってしまう。

ここでお腹が鳴った。

情けないような気がしたが、どんな時でもお腹は減る。

お腹に手を当てたら朝食に気が行った。
今日は七姐誕だから、夜は御馳走だ。菓子が山程卓に載る。
だけど私は甘い物より御飯の方が好きだ。甘く煮て貯蔵した取って置きの栗と鶏の入った粽や葱がどっさりまぶされたプリプリ甘辛い海老、大蒜を利かせた青菜炒めやふわふわに蒸し上げられた黃魚、身は柔柔で皮はパリッと焼けた脂身たっぷりの豚肉、そして何より真っ白い御飯。もちもちのお米に美味しいお菜を口一杯に頬張るのは、本当に幸せ。玉子を溶いたトロリと温かい湯があったらもっと幸せ。

そんな事を考えていたらますます空腹が募ってきた。
寝台から下りて部屋履きに足を収め、夜着を着替えて顔を洗う。

ちょっと迷ってから蜜水を杯に注いだ。一口呑んだら、後はごくごくと勢いが止まらない。よく冷えて薄甘い蜜水はとても美味しかった。

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