第1章 駆ける兎の話
ひらひらした華やかな衣裳が好きで、ツンと尖った顎と鼻同様、尖って気の強い物言いをする姉だ。
樹花は土に近いから位は高くないが、花の需要で国は金持ち。その中でも指折りの富豪の家柄の母を持つ。
正直、得意な相手じゃない。
「どんな男があの獣みたいな狼娘を負かすのかと思えば、あんな風采の上がらない小男なんて」
平手を張ってやろうかと思ったら、遊華が手を撫で擦って俯いた。
「でもちょっと羨ましいじゃない?」
意外な言葉に毒気を抜かれて、肩から力が抜けた。
「狼娘もアンタも、うちに帰れるのね」
呆気にとられて、それから思い出した。
遊華には幼い頃からの婚約者がいる。幾度か奥宮の園庭へ樹花の手入れに顔を出した事があるから、私も遊華の相手を見知っていた。日に焼けて背の高い、気持ちの良い若者だ。
樹花の国は砂漠に囲まれている。砂地と戦いながら緑地を拡げる事を国是とし、男は決められた土地に樹花を根付かせないうちには縁定が認められない。
「うちはほら、相手は決まっていても先が見えないからさ」
そう言って撫で擦られる遊華の手は、白いけれど赤切れの紅色が目立つ。水を使って切り花を扱うから荒れるのだろう。
思わず顔を見たら、遊華と目が合った。
「まぁね。早く帰れりゃいいってもんでもないわよね。私なら厭だわ、あんな野蛮な小男」
勝ち気な様子で小面憎く顎を上げた遊華に、でももう怒りは湧かなかった。
「…早く帰れるといいね」
言いながら、羨ましいと思った。
遊華は、まだ見た事もない国を、帰る場所と思い定めているのだ。この期に及んで揺れている自分とは大違いだ。
「何よ、気持ち悪い。アンタがしおらしい事言うと反って厭な感じがするわ。止めてよ」
言葉通り、遊華は鼻に皺を寄せて厭な顔をした。
「…そう。悪かったね。じゃ何時までもいたらいいよ、ここに。沈梅みたいにね」
優しい事なんか言わなければよかった。いや、遊華と話しても大体ロクな事にならないのだから、話なんか聞かなければよかったのだ。
「ちょっと何それ。止めなさいよ、縁起でもない」
物凄く深い皺を眉間に刻んで、遊華が肩を怒らせる。
そこまで言わなくてもいいんじゃないの?流石に沈梅が気の毒になる。言い出したのは私だけれども。