第12章 AfterStory 隣の彼は返事をしない
しかし意外にもすぐにその時は来た。
いつも通り1番前の定位置でテキストをリュックから出していると、ふわりと良い香りが鼻を掠めた。
まさか。
目線だけ上げてみると、ピンと背筋を伸ばした彼女が居た。
大きな講義室の1番前。教卓のすぐ前の真ん中の席。
意図せず生唾を飲んだ。
いつも何を見ているのか。
どんなことに興味があるのか。
どうしてこの大学を選んだのか。
どの研究室に入るつもりなのか。
部活はしているのか。
将来は何を目指しているのか。
聞きたいことは色々と思いつくのに、何と切り出していいのか分からない。
思えば俺は自分から女性に話しかけたことがない。
部活仲間と自転車の話をするのはあんなに容易だというのに、女性と何気ない話をすることがこんなにも難しいことだとは思わなかった。
教授が入って来て、いよいよ話しかけ難くなった。
俺は半分諦めて筆箱からシャーペンを取り出した。
うるさい胸の音を搔き消すようにカチカチと芯を出す。
大丈夫だ。何も今日話しかけることはない。
いや、むしろ話しかけようとしたこと自体が間違っていたのかもしれない。
俺はこの場所に何をしに来たんだ。
そうだ。こんなの、俺らしくない。
講義が始まった。
教授が乱暴に書き殴った板書をいざ写し始めようとした時、手にかいた汗でペンが滑り落ちた。
「あ。」
カラカラ、、、
指から落ちたシャーペンは彼女の足下に転がった。
「ん?」
それに気がつく彼女。
ドクンと、心臓が大きく音を立てた。
彼女はサッと足下に手を伸ばして、俺のシャーペンを手に取った。
「ハイ、どーぞ」
「あ、ありがとう」
初めての会話だった。
彼女は笑った。
初めて見る笑顔だった。
その後の講義の内容は覚えていない。
そんなことも初めてだった。