第1章 君の初めてで慰めて
「…すん。…ぅ、ん」
「……落ち着いたか?」
エルヴィンはナナバを見つめるが、その視線は彼女の肩口を掠める。
真正面からは見ない。目があって、怖がらせたくはなかったからだ。
「はい、すみませんでした…」
「いや、気にしないでくれ。全て私が悪い」
「違います、違うんです…」
エルヴィンは部屋を出るべく立ち上がると、涙のあとを拭うナナバの脇を、何も言わず、何も見ず、すり抜ける。
…扉までくれば、振り返らずに彼女へ告げた。
「私は別の部屋をとるよ。ここは君が使ってくれ。鍵はそこにあるが、わかるか?」
チャリ、と小さな音が背中越しに聞こえた。ナナバが鍵に触れたのだろう。
エルヴィンは一つ安堵すれば、尚も背を向けたままで言葉を続ける。
「それから、朝一番で馬車を用意しておく。
すまないが…、君一人で戻ってきてくれ」
本当にすまなかった。小さくもう一度詫びるとドアノブに手を掛ける。
きしりと蝶番のこすれる音と共にほんの少し開いた扉…。その隙間からは廊下のぼんやりとした明かりが部屋に入り込む。
「…っ、待って、エルヴィン!」
ナナバは勢いよく立ち上がり呼び止める。
その声は、先程までの堪えるような泣き声とは比べ物にならないほど、はっきりと部屋に響いた。
「久しぶりだな、名前を呼んでくれたのは」
以前は気安く呼び捨てにしてくれていた。役職につく、数年前までは。
素直に嬉しい。だが、よりにもよってこんな時に…
そう苦々しくも感じていた。
体を重ねたい、そう思っていた彼女がすぐ近くにいる。
そして、今よりも近い場所にいた頃と同じように、名前を呼んでくれた。
エルヴィンの体は、熱を帯びていく。