第8章 騎士の国の旅芸人
――し、シルビア!?
○○の両目が限界まで見開かれる。
思わず立ち上がりそうになるのを必死でこらえ、
――人助けだから、仕方なくって話じゃ…?
襲ってきたのは軽い混乱だった。
――どうひいき目に見たところで、シルビアとその愛馬の姿には、やむにやまれず出走する、という風情はない。
尾部を飾る、目が痛くなるほど鮮やかに染め上げられた大孔雀の羽根飾りが、白馬の軽やかな一歩に合わせてゆらゆらと揺れた。
ゴールフラッグ付近に控えた審判団が、戸惑った顔を見合わせて「いいのか?」「たぶん…」などと視線を交し合っている。
返し馬を始めていた他の騎手たちも、唖然と――甲冑姿では図りようもないが――その様子を見守った。
ただ一人、平然としているのは当のシルビアだけ。
速歩で馬の足ならしをしていた王子の隣につくと、何やら一言二言を交わし、手綱を捌いて馬首を返す。
そのまま一旦コースの端まで移動してから、見事なギャロップを披露した。
歓声と感嘆の唸りがまじりあう。
騎乗の姿勢、手綱の取り方、それだけで突出した技術が分かる見事な返し馬だった。
――綺麗
○○の脳裏には、ただその一言が浮かんだ。
――やっぱり。シルビアは綺麗。
○○は、シルビアとの間の距離を測った。当然のことながら、ひどく遠い。
だが不思議なことに、それはもはや『寂しい』距離ではなかった。
――あれが、彼の立つ世界なのだ。
シルビアの姿を見た瞬間に確信する。
あの場所こそ、自由の鳥が真にその羽根を広げる空。
押し寄せる人々の歓声と声援の大洪水の真ん中、○○、いや世界の誰であっても手を伸ばせない神域で、今から彼は高らかに飛ぼうとしている。
彼を留めることは誰にもできない。
この世の誰しもが彼の『観客』なのだ。
――稀代のスーパースター、旅芸人シルビアの誇らかな顔に、○○は確かな光を見た。
夜空に在っては月のごとく、真昼に在っては太陽のように、変わらず導き照らし続ける輝きが、かろうじて人の形をとってそこにある。