第8章 騎士の国の旅芸人
かくして、レース当日の朝がやってきた。
空は快晴。雲一つなく澄み切って高い。
○○は一人、食堂で朝食をとり、部屋に戻ってから簡単に身支度を整えた。
鏡に映る顔色は意外にも良かった。あれほどの熱を出したにしては、身体にも引きずるような部分は残っていない。
何はともあれ一安心だが、今一番それを見せたい相手も同じくここには残っていなかった。
――シルビアはレース前の最終準備のために、例によって払暁には宿を離れている。
ファーリス杯――当代の王太子に因み開催されるこのレースは騎士の国サマディーで頻々開催される騎馬競技の中でも、最も格式あるレースの一つである。
騎士団や近衛から選抜されたいずれも劣らぬ猛者たちが集い、冠された王族の名に恥じぬよう、まさに己の全てを賭して挑む最上位の競技とあって、純粋な競技であるという以上に国内だけでなく国外のファンも多く集める一大国家イベントでもあった。
――まさか、そんな大それたレースにシルビアが出ることになろうとは。
初めて打ち明けられたときは、流石の○○も言葉を失った。
いくら何でも安請け合いが過ぎるのではないか――?
とはいえシルビアが困っている人間を見過ごせない性質であるのは、まさに当事者である○○こそよく承知している。そもそも、彼の行動の決定権が○○にあるわけでもない。
それでもなにかあるとすれば現実的な懸念、まず馬術の心得があるのか、という点だが、シルビア曰くそれらについては問題ないという。
『お馬ちゃんは得意なのよん。』
――得手不得手という次元の問題なのか――
という○○の表情を見て取ったか、シルビアは笑って、
『大丈夫だってば。何とかなるわよ』
聞けば、すでにコースを一通り走り込んできたらしい。
『隊長ちゃんも、指南役ちゃんも問題ないって言ってるし。ね?』