第8章 騎士の国の旅芸人
――翌日。
まだ夜が明けきらぬうちにシルビアは目覚めた。
縦長に切られた窓の向こうは未だ濃紺のまま、無言の夜明けを待っている。
音を立てないようにそっとベッドから起き上がると、シルビアは自らの身体に違和感や不調がないことを確かめてから、コップにきっかり一杯の水を飲んだ。
物心ついたころから、彼が朝一番に行うことは決まっている。――筋力トレーニングである。
武であれ、芸であれ、何より手入れに力を入れるべき『道具』は、他でもない自らの肉体――それがシルビアの理念の一つだった。
それはただ鍛えるのではなく、研ぎあげる、という表現が正しい。
やみくもに負荷をかけることはせず、まずは無理のない動きで身体の動きを丹念に確認する。
筋肉は、繊維一本一本に至るまで丁寧にほぐして初めて、調整を許してくれる。
自分の身体とはいえ、いや、自分の身体であるからこそ、怠ればその分いざというときに容易く裏切られることをシルビアは知っていた。
全身が充分に温まり、肉体の隅々まで確実に目覚めたことが判ってから、薄く汗をかく程度までみっちりと整えていく。納得の行く仕上がりとなるまで時間も手間も惜しまない。
最終的な技の出来は、常に地力が左右するからだ。しかし難儀なことに、筋肉自体は重たく固まりやすい。
纏う場所と量を間違えれば、かえって動きを阻害する。
如何に柔軟かつしなやかに保つか。
そして部位に応じてどの程度磨きぬくか――慎重かつ厳密な調整が常に求められた。
頭から指先つま先の末端に至るまで完璧に整え終わるころには、サマディーの高い城壁の先端が、差し込む朝日で金色に染まり始める。
ようやく本格的な朝の訪れである。
いつもなら、この辺りで○○が目を覚ます――のだが、今日に限っては様子が違った。
○○はまだ、寝台に身を沈めて眠っていた。
――無理もないか。
シルビアは考えた。
○○は決して朝に弱い方ではないが、何せ、昨夜が昨夜である。
あれだけうなされては、再び寝つけたとしてもよく休めたとは言えないだろう。
――少しくらい寝坊させてあげましょ
先に階下の食堂に向かうことにした。