第7章 夜に陽炎
――そう、夢。シルビアのいう通り。ついさっきまで、自分は確かに、『夢』を見ていた。
それはとても生々しい感覚、虚構でもなければ、妄想でもない。いや、夢という形を取りはしたが、『あれ』は、きっと過去実際に起こった出来事で――
口を開こうとして、気づいた。
「――覚えて、ない」
かすかに震えながら、ただそれだけを答える。
「え…?」
シルビアも、当惑した様子で、
「覚えてないの?」
「…うん」
――あの鮮烈な思い出は、目覚めた途端灰色の砂に変じて、○○の脳裏から吹き消えるように去ってしまっていた。
意識の端をさらえば、残滓らしきものはまだ漂っている。
が、それはあくまでも切れ端の切れ端、到底言葉に変えられるような代物ではない。
――シルビアは何か言いたげに、○○を見た。
○○も、すがるようにシルビアを見る。
わずかな沈黙を挟んで、
「――お水、飲みましょうか」
立ったのは、シルビアだった。
サイドスツールに置いてあった水差しからグラスに水を灌ぎ、○○に手渡して、
「…ありがとう」
受け取った瞬間、○○は息を飲んだ。
――手首に黒々と、シルビアの手の痕がついている。
本当に、一切の誇張なく、彼は相当の力で○○を抑え込んだのだ。
そして、彼がそれほどの力を発揮せざるを得ないほどに、自分は暴れ狂った――
○○は暫く呆然とその痕を見つめた。
――何も考えられなかった。そこにはただ受け止めがたい事実が枷のように刻まれている。
突然、柔らかいものが頬に触れ、我に返った。
――シルビアの指先だ。
彼は長い腕を伸ばして、控えめに○○の頬に触れながら、
「…やっぱりまだ、顔色悪いわよ」
「そう、かな…」
その半身は、窓からの月光に白く浮かんで見えた。彫深い面差しに沈んだ陰には、同じほど深い思案の色がある。
「昼間に、何かあったのね?」
様子がおかしかったもの、とシルビアは○○の目を真正面から見て訊ねた。