第7章 夜に陽炎
刹那、意識が現実に引き戻された。
まるで水中から急激に引き上げられたように、冷えた空気が一気に肺に入って○○は動転する。
「○○、ちょっと、○○ったら!!」
幻の残響は消え去り、聞き馴染んだ声が頬を張った。
――今度は、何
狂ったような心臓の拍動。あふれた冷たい汗でべったり濡れた全身――
視界の端、小さな窓から白々と零れ入ってくる月明りで○○は我に返った。
――宿の部屋の中だ。
はっと息を飲んだ。
身体が動かない。それもそのはず、誰かがほとんど馬乗りになって自分を組み敷いている。
――更には、自分の上になっている人物、それは他でもない、
「し、シルビア?」
「どうしたの、しっかりなさい!」
気付くと同時にシルビアの声が、再度○○の鼓膜に刺さった。
――状況がまだ理解しきれない。
シルビアは、○○の自由を完全に奪いながらも、激しく動揺していた。頬には乱れた黒髪が掛かり、肩から背にかけてが大きく上下している。
――一体、彼と我が身に何が起こったのか。
「…私、どうして、なんで…?」
乾いた声で尋ねる。すると、○○にいくばくかの理性が戻ったことを察したのか、シルビアの切羽詰まった表情はようやくゆるんだ。
――上になっていた身体が慎重に退けられる。
安堵の深いため息とともに、シルビアは○○の寝台の端に腰掛け、両手で口元を覆った。
「こっちが、聞きたいわよ…」
○○も、周囲の様子を伺いつつ身を起こした。静寂を取り戻した石造りの室内に、見たところ大きな変化はない。大きな調度も、細かな手荷物も、全てが記憶にある通りの場所に落ち着き、沈黙している。
――ふと、軽い眩暈が○○を襲った。呼吸を整えてから、改めて尋ねる。
「…何か、したの?私」
「え…覚えてないの?」
シルビアはぽかんと口を開けた。○○は多少気まずげに頷く。
「うん、ごめん…」
――深いため息が、どちらともなく漏れた。
○○は、意を決して、
「ねえ、シルビア。教えて、私、何したの?」
わずかに身を乗り出し、問いかけた。