第4章 更夜の誓い
そうだ。違う。
私はそんなことが不安だったわけではない。
――そんな表面的な理由など、最初から気にもとめていなかった。
しかしそれは返って、不自然なことかもしれなかった。
赤毛やシルビア自身でさえ懸念したのだから。
――○○は記憶をたどる。
あの時逃げたのは、確かに恐怖と不安に突き動かされたからだ。だがそれはシルビアに対するものではなく、もっと遥かに、根源的な部分からくる感覚でもあった。
――小暗い場所から衝き上がる、深い絶望の切れ端に触れたような――
思わず吐き気が込み上げ、○○は口元を抑えた。
シルビアは、○○の前に膝をつくと、その肩を支える。
「…なにか、思い出しちゃったのかしら」
「…そうかもしれません」
○○は素直に言葉を紡いだ。
「…少なくとも、あなたが嫌で、あなたが怖くて逃げたわけじゃない」
語るうちに、○○の目じりから一つ、また一つと涙がこぼれた。
――むしろずっと、忘れていた。
シルビアと過ごしている間は、辛さも、孤独も。
――本当は感じるはずだった痛みの全ても。
何もかも、忘れて居られたのだ。
まるでそんなものなど、最初からなかったかのように。
――ごめんなさい、と謝りながら○○は涙をぬぐう。
「うまく、言葉に、できない…」
嗚咽に言葉が引っかかる。思考が乱れ、感情が溢れる。
シルビアは自分も○○の隣にそっと腰掛けると
「…よしよし」
○○の頭を引き寄せた。
「…分かってるわよ」
子供をなだめるように、両手で○○の頬を挟む。
「あなたがそんな薄情な子じゃないことくらい。…ごめんね。アタシも意地悪言い過ぎたわ」
「シルビアさん…」
肩を震わせながら見上げると、柔らかく微笑むシルビアと目が合った。
「いいわよ、シルビアで。――心配したんだからね。本当に」
シルビアは親指でそっと○○の目から新しく落ちた涙をぬぐった。
「ほらもう泣かないの。かわいい顔が台無しよ」
「う…」
「無事でよかった。本当によかったわ」
深いため息を付いて、○○の頭をそっと胸に抱いた。