第2章 デルカダールへ
旅を続けるうち、シルビアにも少しずつ分かってきたことがあった。
○○が失った記憶というのは限定的だ。
例えば、彼女は地図を読むことができる。コップを使うことができる。魔物は恐ろしいものだと分かっているし、何かをやり取りするためには通貨がいることも理解している。
こうした大まかな一般生活に関わる知識はしっかりと保持している一方で、馬車や帆船など乗り物に関する記憶、地理知識、出自や来歴についてはやはり完全な喪失状態だった。
立てた膝の上に頬を預けながらシルビアは考える。
『結局のところ、手がかりらしきものはゼロ…か』
大きな街にはそれなりの情報が集まる――そうした比較的単純な発想で、デルカダール行きを決めたわけだが、ここへきてふとした不安も兆した。
――もし、万が一、何も見つからなかったら?
シルビアは揺れるランタンの炎を見つめた。夜の静寂は応えない。
考えてみればそう都合よく事が進む保証はどこにもない。○○は信じてついてきてくれているようだが、それも彼女にとっては『そうするほかない』からである。
シルビアの隣で、答えるように○○が小さく身じろいだ。ずれた毛布を掛け直してやりつつ軽く頭を左右に振る。考えてもしょうがない。
――その時はその時ね
一番不安なのは、外でもない○○のはずだ。
どういう事情かは不明のままだが、身ぐるみどころか記憶までなくして放り出されているのである。
考えただけでも、気が狂いそうになるほど絶望的な状況のはずだ。
それでも○○は今のところ落ち込む様子を見せていない。
欠けた部分を必死で取り戻そうとするかのように、日々出会う光景を純粋に受け取め、取り込み続ける。
シルビアに寄せる信頼も強く、常に素直に従ってくれている。こうなるとシルビアにも少なからぬ情が沸いた。
――裏切れないわよねえ。
ほとんど気付かないほどの笑みが、彼の頬を緩めた。
ほどなくして前方の街道がうっすらと灰色に染まりだす。
――夜明けだ。