第28章 子達の来訪
非道な行いは、たとえどのような理由があろうとも正義にはなり得ない。
苦しむ誰かがいるだけで、それは悪となる。
誰しも重きを置く点は違うように、環境もまた異なる。
だからこそ見え方や考え方も異なり、その人にしか気付かない部分もある。
だが…気に食わないという理由だけで、ただでさえ家庭環境に伴って切迫している精神が崩壊するほど追い詰めていい理由にはならないと、私は思う。
人道といえば人道なのだが、オラリオには犯罪という概念がない。
だが、街には法律という名の掟がある。
人が人らしく生きていけるようにする為らしいが、どうにもそれを守ろうとしない人もいるそうだ。
もし仮に処刑された者達が「呪ってやる!」と怨鎖の念を叫んだとしても、それは見当違いも甚だしい。
一日だけされたそれに対してそうしていいというのならば、いの一番にしなければいけない人がここにいる。
常に精神的暴力にさらされ続けてきたケイトだ。
ロキ・ファミリアの団長曰く、六法全書というものを読んだのだが、被害者に厳しく加害者に甘いものだった。
彼は死刑の処刑方法に対して、少しだけ改変を加えたいと申し出を述べ、それに街長が頷いてくれたこともあってあのような処刑方法に至ったというわけだ。
それにケイトは怒ったが、そもそも逆の時に人に対して自身が行った理不尽に怒るまともな人ならば、最初からそのような処刑方法は選んでいない。
気に食わないと独りに追い込み、追い込んだ当人は誰かと共に笑って遊び、常に追い詰め、叫び、喚き、謗り、嘲笑い…
週5日のそれに加え、家庭環境における父からのDV、母からの精神的暴力…
聞かされた暴言に違うと言えば叩かれる、抵抗すれば痛みが、話しかけるのもダメ。
こちらの話は一切聞かない、聞いてくれる者もまたいない。
話しかければ殴られる、逆に話しかけられることはと言えば常に愚痴。
誰かに話しかけられるということ自体無かったが故に反応できず無視だと認識されたのだろう。
それらの環境も相まって、できなくなっていたそれらに拍車がかかるのも当然だ。
それらが常にあれば…どれほどの精神負荷だったか、最早想像を絶する。
寧ろ、あれだけのことをしでかしておいて何も仕返しを受けない方が極めて異常なのだ。
といったことが、新聞記者の手によって書かれていた。