第88章 神聖たる導き
ありがとう、と――
「主犯格の癌」は、全てを殺した。全てを消した。
「創世神の親の時にしたの(原罪)」と同じように…
「全く同じ行為(過ち)」を繰り返した――
だから……
どう在っても…人の本質は、魂の本質は、決して変わらない
どんなに生まれ変わっても…
同じ存在は、同じ魂は、次世代は、同じことを繰り返す
何度も――…何度でも
気が遠くなるような時を越え…それでもなお……再び――
因果は巡る――時は巡る――同じ過ちを繰り返さないように―――幾度と無く―――
出会いが――運命が―――縁(えにし)が――――時が――――
その為にあるのだから―――
だから―――
「非(過ち)を認めない心、本質」は、「己を腐らせる毒」となり、「己のみならず全てを自壊させる呪い」と化す
過ちを過ちと認めない限り…
非を非と認めない限り…
自ら自戒しない限り、繰り返す行いは止めようもない
『非を認め過ちを繰り返さないよう努める心、本質』――それが…「癌化」への『ストッパー(抵抗力)』となるから
人から注意されて渋々では、身に付かないし、何の意味も成さない…
何より…お互いの為にもならない、良くない
人にはペースがある
それが遅かれ早かれ、学ぶ者は学ぶ
しかし…「そうでない者」はいつまで経っても学ばない
学ぶ気が元より無いから
それよりも自分だから
自分の為したいことが最優先であって
人のことには無頓着だから、「人が見えず、寄り添えられないままな本質」は何も変わらないから
自分のやりたいことの為ならば特に
「癌」の「中身が空っぽ」とは…「何も学ばない、成長出来ない魂」だから……
要するに…
自分のやりたいことをする際には、
まず『人を見て、人のことを考えて、寄り添う(配慮、尊重する)こと』も忘れないようにしましょう
と言うことだ
『人を見る心』とは…『学ぶ(魂として学び成長する)』為の、『最も大事な根幹、主軸』を意味する
「人を蔑ろにした(人を見ない)正義」等、「ただの暴力」でしか無いのだから――
「主犯格の癌」は…無自覚型で、己の欲の為に、人を見ず考えずに暴走し、沢山の犠牲が出てしまい、
人を見ないからそれ(犠牲)に気付かず、「反省せず、欲の為に犠牲を厭わない存在=癌」として完成してしまった