第84章 竜の巣
「癌」は「全てに消滅を齎す」、といった考えがまとめられていた
女キャスター『「癌」と戦う、染まらない心…
それはどうやったら身に付けられるのでしょうか?』
男老人解説『それは…善悪に染まらない心です。
誰かから見て善だから、だから善だと捉えるべきだと、そういうことです。
やった側のつもりが人助けであれば、あなたは大事な人を殺されても、巻き込まれても、死んでも、傷付いても、笑って人助けだと受け入れることが出来ますか?
大事な形見を奪われたり、金品を強奪されたり、住処を二度と住めないように破壊されたり、やってもいないのに罪を着せられり、そういった悪事が罷り通ると思いますか?
「そういった限度を弁えない、際限を無くした、善という大義名分を掲げて行った非道」…「それ」を「繰り返し続けても痛まない心、善だと歪める精神」。
それこそが「歪み」なのだと私は思います。
「悪を善だと歪める在り方」そのもの…「反省せず繰り返し続ける心」…「状況が状況だから仕方ないと、一方的に巻き込まれ殺され傷付けられた側の『悪いことも何もしてもいない人々の心』を踏みにじる行為」、その「悪行」を善だと「歪める心」にあるのだと…
繰り返さないべきだと、違う方法を取るべきだと、向かわなければならない。
そうでなければ、その哀しみも、苦しみも、全て報われないままとなる。
でなければ同じ人が出続ける。
それが善行?悪事ではない?
そんなのはされたことのない側、一方的にする側の意見でしかない。
されないと思い込んでる側だから、その立場になることを考えないから、平気でそんな「歪める」といった行為が出来る。
だから消えてしまうんです…軽んじるから』
女キャスター『つまり…
善に見える大義名分に釣られて、巻き込む悪いやり方を善だと言う行為は、「歪める」といった行為であり、一方的に巻き込まれ死んだ方々の想いや心を踏みにじる悪行であると…
そういうことですね?』
男老人解説『はい…
見極めが難しいでしょうが、自分に見える善悪の基準が全てにおいて正しいとは言い難いという訳です。
目的が善でさえあれば、どんな行為を取っても善だと歪めてくれる、そういった思い込みが危険なんです。甘えでしかない。
そしてそれが常態化することで、「癌」が生まれる。自分にも、人にも。どちらの為にもならないしよくない』
