第70章 新天地
「力だけは信頼しているって何?」
「リングが息子の証って何?」
「ならなくても返却しなくていいの?」
もう題材にするのはやめてもらえないかな…;
だが、既に、その存在は周知されてしまっている。
悪い人という教育題材として…
「意図的にやらない人」でさえあれば、されたとしても「許すべき内容」ではない。
到底言えない内容をし、周囲からいい人、優しい人、善人、とされ続けて、改善しなくてもよい。
最小限にしようと考えることも努力さえも放棄しても、殺し続けても傷付け続けても同様に思われる。
なってはならない代表例として…;
神官「力だけは信頼している、というのは…
戦い合って、全力でぶつかり合ったから、力だけは理解している。という意味だ。
だが、それは得てして…「力しか」見ていないという意味合いもある。
当てにしているのは力だけ、人格でもなければ精神は見ない。
そこが認識を改めるべき点だ。
リングというのは、次期当主の証でもある。
すなわち今代の「息子の証」でもあり、次代と相応しい名を付けられ次代となる為にその前提で育てられ続けた人の「存在意義」でもある。
だが…どう在っても継げない立場だった。
それらの経緯を知った上で、
苦労して手に入れたからとリングを今代へ返す気もなく、ずっとつけていながら「次代にはならない」と頑なに言い続ける。
もし、そうされたなら、どう思う?
知った上で、そうされ続ければ、悪だと思うことさえ悪か?
目の前でリングを付けているのを見せつけながら、力を貸して欲しいんだと頼まれればどう感じる?
何故、力を貸して当然とされなければならない?力を貸してくれる仲間とあてにされながら、それ以外を決して顧みない在り方を笑ってし続ける人へ…
そこが認識を改めるべきポイントだ。
本人の感情を逆撫でするような喧嘩を売ることをして、良しということには決してならないんだよ。
なっていいとは…思ってはならないんだ。
されたら嫌だろう?」
『うん!!』大きく頷く
何故ひどいことをしている、とされるのか。
そんな人でなければ、しているそれは悪いことではないと、優しいこととされる矛盾。
それを切に訴えかけていた。
『啓蒙(けいもう)』を司る神とも言われている。
無知の人に啓発して正しい認識と生き方を教えるという意味だ。
