第70章 新天地
というより…
全てを覚えていたら、己が壊れ、精神も人格も崩壊してしまう。
精神の防衛本能…それか神や主護霊の手により意図的に忘れさせられている感も否めない。
僕以外に甘えたがらないのも…傷をぶちまけないのも……
それで傷付く人を、極力減らしたい一心なのだということを
僕は知っている…
よくよく神像の説明文(3352ページ参照)の続きを見ると、『慈悲』と『慈愛』を司る神とも書かれていた。
神殿に書かれてある、とも言ったが…
それは、神像の傍での説明文が書かれた『神石製の石板』が、神殿と直結して一体化していた為だ。
神像もまた、神殿と直結して一体化しており、決して離れず倒れないようになっている。
ケイトについての説明文書にはこう記されている…
他を顧みない人々から痛め付けられ続け、暴虐の限りを尽くされていた。
後にその者、神の力を得、同じ境遇の者達を集め、国を作らんとする。
虐げられ続けて死ぬはずの(死んだ人もいる)民達と共に作り上げるは、自由な思想で貧困や格差がない神国――
自由をはき違えるな。
自由だから何でもやっていい訳ではない。
区別なく何でも自由にして裁かれないとするのは混沌、破滅しか呼ばない。
己の幸せの為に、他の幸せを殺したり傷付けたり奪ったり、その時点で他のが不幸せになり、幸せではなくなる。
その時点で、利己的な益しか叶わなくなってしまっている。
それをした時点で、
皆が皆、幸せであるように…という枠から外れる。
抱く大望(幸せ)への協力等、得られるはずもない…←3267ページ参照
それは…社会を形作っていく上で、障害にしかなり得ない「思想」であり、他者への慈しみを捨てた「精神」だからだ。
その決まりさえ守れれば、互いが幸せとなる道の求道者として受け入れん。
去る者は追わず来る者は拒まず。
互いの幸せの為、人としての高みを目指す同志として、同胞として、共に道を歩み続けよう…
邪道を拒み続けよう…神聖たる証として――
神官「未来のお前知ってる、今のお前こうに決まってる、だから大事な人助けられても感謝しない、お前と同盟組むの嫌、信じれない。
そうされたら嫌だろう?」
『やっ!』
神官「決め付けないこと。温かい目で見守り、己とは違う個として存在を受け入れること。
いいね?」
『はい!』