第70章 新天地
そうして出来た祭の名は…
『休閑祭』
己相手にもいじめるな、労い労わりましょう、ということだ…
過度に責め続けるのではなく、ある程度区切りをつけ、切り替えましょう。
ということを戒める祭として付けられた…
どうやら毎年、この日(6月26日)に行うつもりらしい…;
国王の教訓を、国民もまた実践するように…ということになった。
まあ…ケイトが自分を責め過ぎてしまうのは……
関わるからには、自分のせいで不幸になって欲しくない。己以外の幸せの『妨げ』となりたくない。
その上での幸せを、嬉しいとは思えない。堪能できない。
そういう生まれ持った感性に付け加え…
人さえ幸せであれば、己はどんなに痛くても苦しくても辛くても耐える、不幸でも耐えてみせる…
それを最重要視させ『られる』理由は、特殊な環境(己等ないものと虐げられ)で長年育ってきたせいとも言える…
だから…関わった他が傷付かないよう配慮し過ぎる、幸せであるようにと願い無償で『働き掛け』る。
己一人が存在することで己以外へ与える『傷』、それが最小限で在るようにと願い、距離を置き、理解を得ようともしないまま、自らで自らを責め、痛め付け、発散場所とした。
理解されないまま、報われることがただの一度さえも無いまま、しようともされないまま…周りは好きに、痛め付け続けた。血の涙、慟哭を魂があげ続けていた…
自らをいい人と認めたがらないのも、きっと…
そう(いい人)であれば、そうなってしまえば…(常にされ続けてきた)それまでのこと(受けてきた非道)に耐えられなくなる。
そうなれば…何をしてしまうか、どうなってしまうか…
それが一番怖いんだろう……
だから…頑なに、己をいい人だとは認めない…
認める訳にはいかない……
たとえ…全員から、善人だと言われようとも――
拝まれる対象になろうとも……
ケイト「どうしよう…携帯か本か何か見ている人に、話しかけられない…;
挨拶でも何でも;」
フィン「それは…君が、何度も、父親や、母親に、され続けてきたからだろ?;
「取り込み中(作業中)だから死ねor邪魔」とか;」瞑目&嘆息
ケイト「はっ!)あ。そうだった;」瞠目
テロップ『忘れてた!』
フィン「……;」
こういう具合に…基点となっている出来事自体を忘れてしまっている。