第70章 新天地
1番は『心掛け』、そしてそれをもって『この世で何をなしたか』。
『人間性を磨く為』という目的で、分析したこと、
学ぶ為に人の意見を聞いて回ったこともまた同様だ。
それもまた、『己を磨く為の努力』として清算される。
『同じ人を出させない為』という目的もあってこそ…
先程挙げた「初代ジョットと沢田綱吉の魂」のことだが、言いがかりではない。
100%真実であり、中身の伴った人間では決してないことを証明している、あくまでただの『情報』に過ぎない。
最低限を守らなくてよい。
好きだからであっても、何であれ、それを善と認めていることそのものが「異常」なのだ。
そもそもが、そんな礼儀も欠片もなってない人を、信頼しよう、頼ろうという気には到底ならない。
彼は力を持たせていい人間ではない、いつ(被害に遭った)周囲の人間(身内以外)の堪忍袋の緒が切れても不思議ではない。
それだけのことを、仲間の為、という理由で、手前勝手な理屈で、(蔑ろに)し「続けて」きてしまっている。それこそ過度を超える程に…
これにて本当に終わりにしよう。あれを口に出すだけで身も心も穢れるような心境に陥る。
人として高みに至る為、再発防止の為、問題点となる要因を見出す為、
何より、泣き寝入りする人を減らす為…
その目的で散々彼について議論し、纏めてきた訳だが…その把握も済んだ。
神殿と教職に就く人全てが、どうやればそう育たないかも把握している。
そういう人だから、そういう行いで当たっていい訳ではない。
当たった時点で、そういう人に、自分が成り下がってしまっていると…
そうなれば次は己の番だと……
悪意で、悪評を振りまく為にするのとでは、目的も違う。
だからこそ意味合いもまた異なる。
事実、ケイトがした憤怒に駆られてのも含めて加点対象となった。
善人とする人がし続ける「歪な、偏った善行」という名の悪行、それで泣き寝入りする存在とその重みにやっと気付けたから。
力による支配、虐げ、身内以外から見ればただの暴君、それらにようやく気付けたから…
イメージにとらわれないこと。
それを盾にし、何でもいくらでもしていい、考えなくていい、いくつ繰り返したっていい。
そうしていいこと等、何一つとしてない…いいはずがない……
それらに気付き――人としての新たな高みを得た
