第69章 文明開化
そんな在り方が、在っていいものだとしたら…
何故、逆は許されない――?
許される所か、非難しかしない在り方を!
何故、人が違うだけでそれほど正義と言い換えられる!!?
盲目となり、妄執にとらわれ、人を心無いものと扱うことのどこに正義がある!!!?
人としての優しさがある!!?
そこにどちらが先かなど関係ない。
同じことを人へしている時点で、同類(同罪)だ!
だから…彼を受け入れることも、正義とすることも、好きだと思うことさえも、今となっては理解などできない。
元敵を「力を貸してくれる仲間」と評しながら、その心を見ずに、考えずにやりたい放題。責任も取らず自分の時だけ力を貸して。そこに利などさほど発生しない。そのものの為に動かない。
それでいて「人としての優しさ」を忘れていないとする周囲に、吐き気がした。
あれは同じだ。人の在り方の自由を許さず、己だけ許せとのさばる、善という偽りの虚像に。
自分の傷に触れられる存在、到底理解の及ばない「いい人」「人としての優しさ」「正義」という虚像を振りかざす存在。
それらに怒りに我を失って殺せば、それを他愛無いことと厭わず、背負わず、繰り返すまいと努めないようにしてしまえば。
その時点で、「同類(人殺し)」と化す。
そこに正義などなく、ただ自らの理想だけを叶える為の「暴虐」に過ぎない。
ただの「虐げ」だ。
あんなものになってしまえば、そこに先など存在しない!
それは神々が証明している。
人の意思を、心を、これまでの人生故の道を、誰かが意思も心も無いものとしていいはずがない!
そこで屠り、殺してしまえば、同類になると思え!!
クズになるな!!!成り下がるな!!!
人の死にも、生にも、一切こたえず、笑い、己の利だけを貪る悪と、蛮行を正義とする外道に成り下がるな!!!!
人を「蔑ろにする意思」と、『蔑ろにしない意思』の判別もつかないぐらいなら
人であることを名乗るのをやめてしまえ!!
人の「好き嫌い(基準)」と、『在り方(今後の人生)』と、どちらが大事だ!!!?
殺されて消えねばならないのはどちらだ!!?
好き嫌いを重んじて、命を蔑ろにする在り方を賞賛するどこが正義だ!!!?
好き嫌いを屠ってでも命を汲め、死してもそれごと背負い、意思を亡き者とするな!
そうでなければっ…!!」涙