第69章 文明開化
人は自由に、幸せになる権利がある。
だからと言って
他を不幸にしてまで、他の自由を奪ってまで、求めたり、していい訳ではない。
己の幸せの為だけに、他に対し
不当に評価を歪めたり、不当な扱いを強いたり、印象を意図的に操作したり
それら己が他へした全てを、人のせいにしたり、私利私欲に捻じ曲げたり、正義とする。
突き詰めると、それこそが犯罪であり、罪なのだと、神様は言いたいのだろう。
98%というのは…
受けてきた扱い100の内、98が不当なものということ。
どれだけ彼女が、人へそれら(不当)をしなかったかという証でもある。
だからこそ、神はより深く彼女を愛しているのだろう。
だからと言って決して威張らず、慢心せず、まだまだと己を高めようと律し続け、それでも全然出来てないのではと不安に思い、努力を惜しまぬ人だから…
どうすればより神が愛してくれるかという問いに対し、彼女は言った。
「そう言っている内は無理なんじゃない?」、と―
励むのに利益を求めれば、それは愛故の奉仕でもなく、相手への慈しみ故の善行でもなく、ただの勝手で浅はかな欲深。
神が愛するのは穢れ(たもの)ではない。
神聖なものだという。
頑張り過ぎなぐらい、己を責めている。
律し過ぎなぐらい、他が幸せなようにと想い、他を不幸にすることに怯え、気遣い、心遣い、些細なものにまで過小とせず、全て心あるものと接し、立場を考え、気を付け過ぎている。
己を殺すほどに…
だからこそ…神は愛するのだと言う。
神に至ったからこそ見える目の前の光景に、僕は笑った――
私利私欲は、赤子でも出来る。
人のことを気遣わないこと、考えないことも、出来ない赤子の内ならば許される…
だが、考えられるのにしないのはただの怠慢だ。
私利私欲は災禍を呼び、地獄へと導く。この世でも、あの世でも…
「裁き?与えられるものなら与えてみろ」
そう思うのなら心すればいい、その(振る舞いの)分も含めてあの世で裁かれる。
決して逃れられはしない…逃れられるものは一人としていない……
神の目からも、記録からも…裁きからも―
人を想い、幸せを願い、頑張る心
そこにこそ善は宿るのではないだろうか…
それは、一つの『(神国)文明』として、強く、根深く残ることとなる―
『神国の誇り』として――