第60章 穏やかな日常
結果として…死ぬ気弾の危険性を一切省みず自らと友人家族のみにとっての平和な日々を敢行する為、彼らは気付かず突っ走った。
邪魔をしようとする障害物と捉え、警察官を薙ぎ倒し、吹っ飛ばし、一切省みることもなく、自首することもない自主性。
それらの言動を取り続ける彼になおも、友人は気にすることはないと態度で示し続けた。
過度な周囲からの甘やかし、自身への甘えは逆効果。
正しい認識能力、責任能力を持ちながら、その犯行を逮捕されるまで、
否、一度逮捕された後もなお続けていたことこそが、その証明である。
寧ろ、皆を地獄落ちさせる為だけの世界であるとも言える。
そうして…皆と話し合い、ファミリーの名を決めることとなった。
ファミリーの名は、バルス(トルコ語で平和)。
悪を根絶…
しかし行き過ぎた正義は悪となってしまう。
だからこそ、自制心と制御力を強く持ち、公平にあたれる自警団となること。
それを目的として立ち上げた。
そしてそれは幾千年続いたという…
誇り高い、高潔な守護神として――
再び世界は戻り…
コクーンにおいて…
暴力、武器に限らず、どんな力もそれを持った時にどう使うのか
それを教えることも親や先生、周囲がしている。
正直に言うと、正義の為の戦いなんてどこにもない。
正義はある日、突然反転する。
逆転しない正義があるとするならば、献身と愛しかない。
目の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片でも食事を与えること。
自分が傷付くことなしに正義を行なうことなどはできない。
戦場で飢えている子がいたら、自分が空腹でも食べ物を分け与える。
人が川で溺れていたら、泳ぎが得意でなくても飛び込んで助ける。
ヒーローは「強いから」闘うのではなく、「弱くても」闘うのだ。
従来のヒーローのように、見た目が格好良いわけでもなく、強い技や武器を持っているわけでもなく、『』で正義を守る。
その時必要となる『』とは、人間が本来持っている『抑制力』や『制御力』ではないだろうか。
悪事を犯さないことも、自らへ向けてのそれもまた同様に…