第60章 穏やかな日常
市民カードは元々純白。
まっさらな状態であり、犯罪をしたことのない領民の証でもある。
そして色は変わっていく。
自らのした行いによって――
確かにずるをした方が楽だろう。
だが、それとは引き換えに大切なものを失うことになる。
それまでに築き上げてきた信頼、認識、品性、友、周囲…居場所……
それまであった様々なものがなくなる、その未来が見えていない。
だからこその未成年なのだろうが…今の所、犯罪を犯す領民は一人としていない。
赤ん坊にも、幼児にも、きちんと皆で協力して教え込んでいる。
それに逆ギレする子供や、悪く貶めたいのだと捉える子供もいない。
その理由として…教育についての概念が既に幼い頃から教えられているからだ。
教育とは、その子供への『愛』在るが故のもの。と…
悪い点への指摘、殊更叱責する行為は悪く言いたいから発しているのではない。
それらは愛の証でもあり、子供が大人になった時に困るからと、親身に寄り添う行為。
大人になってからすればどう困るのか、何が悪いのかの指摘と共に説明を行っている。
今後も(自己中心的かつ勝手な子供が)出ないよう、祈るばかりだ…
そもそもが…この世の中は、悪事を隠せてしまう。
狡猾であればあるほど、頭が回れば回るほど
要領よく立ち回り、うまい汁をひたすら吸おうとばかりする。
欲の塊である人間であればあるほど、他の人間への迷惑や加虐を顧みない人、良心が痛まない人は特に……
勝手な子供がいないのも、そういう被害を受けて死ぬ寸前の者達ばかりだったということも深く関連しているようにも思う。
気付かずにやっている人もいる。
だが一番手に余るのはやはり彼(沢田綱吉)のようなタイプだ…
善悪の判断は正しくある、やってはいけない理由の理解もきちんとしている。
その反面、悪いことをしたと教えて考えるよう促すも「気にすることは無い」と周囲の家族や友人に甘やかされるばかりで、本人も「楽をしたい、楽しみたい」という甘えや怠慢から本当に気にせず考えずやりたいようにするだけ、となった。
彼は自らが犯した法律違反や殺人に対する問題点を指摘されたり
周囲から叱責されたり厳しく接されたことすらもなかった為
周囲が守ってくれる、何があっても大丈夫という慢心へ繋がったのだろうと考察できる。