第60章 穏やかな日常
フィン「それは僕も思うけれど今は置いておくとして…
いい点も全部見えてるということだね?」
神「はい。
人殺しは、償いとする言動なしでは罪を購えません。
善行をいくら積もうと、罪に気付き償おうとする意がなければ意味がない」
フィン「けんもほろろ状態だった理由は?」
神「いい人ならば何をやってもいいのですか?
一面を見ているだけに過ぎません。
個人の主観とは、ただ一角から物事を見ているだけのもの…
相手の心など聞かねばわからない。
優しい人ならば何をやってもいいとなると、根本から全てが覆ります。
それ(人柄)さえよければ何をやっても許されて当然と?
身内が殺されてから言いなさい。
立場が変わらなければ、された側に回らなければ、その罪の重さはわかりませんよ。
考えてもみて下さい。
身内を殺されたとして、その相手がこうしたとしてどう思いますか?
償いも謝罪もせず、周りに持ち上げられ、優しい人と言われて守られ続け、やりたいようにずっといる。
繰り返させないよう努力もしない、反省も無ければひどいことをしたという自覚もない。
……それは…本当に、いい人ですか?優しい人ですか?
実際にされれば、どう思いますか?
それが人として正しいことをしていると、本気で言えますか?
一緒に居て楽しいとして…あんなのと一緒に居たら怠けるばかりで共に地獄に落ちるだけ。
共に更に深く地獄へ落ちていってることにも気付かないその光景は…そこはかとなく、哀れで滑稽です。
苦渋の決断の末のことであり、背負い思い悩みながら生きるならまだしも…
感情任せでした上に背負いも償いも、果てには生かしもしない。
それが天国へ行くのならば、理を逆転しなければならなくなります。
感情のままに殺しも傷付けもせず、たとえしたとしても繰り返さないよう努力し、コツコツと善行を積んでいく。
そんな真っ当に生きてきた者が地獄落ちとなってしまう。
たとえそうなったならば…神もまた、自ら進んで地獄の底へ参るでしょう。
私情や一面だけで天国生きを決めれば、決めれてしまえば…世の中は殺人者だらけになる。
中学生なのだからと言うのならば、川崎事件のような子供をずっと量産し続ければいいでしょう。
そして身内や何よりも大切な人を殺され続けなさい。
その上でも言い張り地獄に落ちればいい」