第49章 真の力
その教育方針はものの見事に当たり…
違いを受け入れるのではなく、個という一人の知識として学び
自分に合うものを取り入れ、自らという個、及び器を拡げる大きな手助けとなった。
意見を伝え、考えを伝え、皆にも色々あると否が応でも理解させられる。
できないこととなっている要因も、環境だったり性格だったり、また人によって多種多様にある。
ケイト「いじめられっ子を全面的に受け入れたりもして、どこまでなら許されるかを共に考えたりする時間も作っている」
フィン「フリースクールかな?」
ケイト「そうだね。
ただし、いじめっ子は断固として受け入れたがらない。
まあ…コクーンの結界が拒絶するぐらいだから、仕方がないのだけれど…
面目躍如?みたいに…生き生きと生きていられるようにしたいな」
いじめに対する公開死刑制度は変わってはないものの、ケイトが仕切った学校において出てくることは一切なかった。
というのも…いじめを社会で表してみようというそれが、よく効いているからだと思う。
いじめとは…
どこへ行っても拒絶される
疑心暗鬼に陥る
人間不信に陥る
対人恐怖症へと陥る
人生において多大な障害を負い、いじめた本人達は意気揚々と暮らす
一切責任は負いません。
人のせいにしてんじゃねえよ。
謝っただろ、蒸し返してくんな。
等々といったいじめっ子の声を書き記しつつ
大きくなるまでの光景が見事に対比表現されており、いじめの教材として各国で取り上げられている。
群れて一人を囲い、同じ意見を持つよう強要することは『いじめ』である。
他人に『同じ意見』であることを求めず、己が抱く意見として堂々と言おう。
その上で、一番のやり方はどれか、共に考えて模索し、実行してみよう。
己に合う一番の方法とは何だろう?
一緒に考えてみよう。自分にとっての、一番の道を。
他の意見、価値観が違ったとしても、違った環境で生きてきたのだからそれは当然。
己とは違った存在、在り方として捉え、学べるものは学び取っていこう。助けを必要としているのなら率先して助けよう。
それらの今までにない教育方針、教育理念によって…
学び舎(まなびや)と呼ばれるそれは、受けている者達、住民からも非常に喜ばれた。