第47章 初めての
三つ、他の幸せを羨むべからず、他を尊ぶべし。
幸せの形は目に見えない。
たとえ今そうであっても、時間と共に状況もまた変わる。
目に見える『自らに無い幸せ』ばかりに囚われるべからず。
経緯あっての今であることを理解し、それに至るまでの過去の中にある『苦しみ』と『痛み』は決して欠かせない。それらを無きものと扱うべからず。
幸せを妬むこと、羨むことは、それを無視する行為であると自覚を持つべし。
何がどう転じて幸せとなるかは、その時になるまでわからない。
不足分や不満ばかり見つめるのではなく、今あるものを見つめ、乗り越えること。
神が全知全能の『神の力』を使い助けないのは、自ら乗り越えた先にあるものを与える為。
なおかつ、そこから得るべきものを自力で掴ませ学ばせる為の行動、愛故のものと思うべし。
他の幸せを自らの幸せとし、喜び、他を慈しみ、尊ぶ心を忘れるべからず。
上記に記したこの三つを遵守すべし。
領内において、念ずるべし規範とする。
それらの規範は『三善美(さんぜんび)』と呼ばれ、旅人にまで惜しみなく賛辞された。
他の国々もまた提唱、及びケイトのそれを示範として「悪事を自らする人々」を諫め、取り締まる側に回った。
「楽園のような国で、未来永劫発展すること間違いなし」とまで賞されることになるのは…まだ少し、先の話だった。
一つは他の違いを受け入れ、他の傷を痛み自らの行動を律し自制する心。
二つは他の力になろうとする意志、情けは人の為ならずの概要、巡り巡って自身へ返ってくるという概念。
三つは他の幸せを妬み奪おう等と考えず、失う前に今自身にある幸せを見つめるべきと視点を変えること、
他がいるから己という定義、存在を知るきっかけを得ている点、だからこそ他を尊ぶべきという理念。
神が何故助けに来ないか、絶対の力を有していながら子である自分達を助けない理由も踏まえ
乗り越えるべき試練、自らを知る為、必要なものを学ぶ為のものとなっていること、自力で掴んでこそ意味があり価値も生まれるのだと伝えていた。
他の幸せを自らのことのように喜び、他を慈しみ、尊ぶ心を忘れないこと。
他を敬い、互いを試練を乗り越える『隣人』と想うべしとも言い換えられる。
それらの僕の解説に伴い理解も踏まえ、ケイトは歴史上圧倒的支持率を誇ることとなった。