第5章 藻裾の先行き
善いか悪いかは問題じゃない。
牡蠣殻の、柳の目で笑う穏やかな顔を思い浮かべて藻裾は再び目の焦点を取り戻した。鉛を仕込んだ我の小さな靴が映る。
アタシは善い人だから牡蠣殻さんが好きなんじゃない。
その質が善かろうが悪かろうが人は人を慕う。信じることも、受け止めることも、受け入れることも、善し悪しは人の背を決定的に押しはしない。損得で人を慕うのではないのと同じこと。
ただ、その誰かが好きなだけ。それが全部だ。
何やらかしたって牡蠣殻さんならきっと何か理由があったんだって思う。アタシはあの人が信じられる。間抜けで人の気も知らない薄情者じゃあるけれども。て、これは余計か。
藻裾はふっと笑って顔を上げた。
それよか、それこそちょっと会わないうちに面倒なことになっちまって、鮫のアニさんは何してやがんだ?波平様と一緒にいるって、まあこら多分、杏古也さんのお子で絆して引っ張られたんだろうけど、牡蠣殻さん、いつまで深水先生に義理立てする気で……。
そこまで考えて、藻裾は眉を顰めた。
誰が杏古也さんの子を波平様に引き渡した?
草の内部にいなければ難しいことだ。草と、殊に今は草に帰属している磯の長老連の肝煎りだろう杏古也の子。生半なことでは連れ出せるものではない。内部に通じていて、腰の軽い者でなければ。
丁度草には杏古也が気を許す程身近くて、不意に姿を消してしまえるようなうってつけの空け者がいる。
海士仁だろうな。
口中に苦いものが広がる。会ったら殺してやろうと思っている叔父。杏古也への恋に溺れて牡蠣殻を襲い、師たる深水を手にかけた磯の裏切り者。
牡蠣殻を襲って磯を抜けた後も波平はその海士仁を出入りさせていたらしいが、そのせいで藻裾は今一つ波平が信用出来ないでいる。どうせ裏で杏古也や長老連が糸を引いていたんだろうが、里長としての波平は惰弱過ぎる。更に元から優柔不断で自己否定の過ぎる帰来がある波平だけに、彼と牡蠣殻が一緒にいると聞いても安心出来ない。
「…で、杏古也さんは今草で何をしてんです?こういうとき、黙って大人しくしてるタマじゃねぇでしょうからね、あの人は」
「確かに黙ってる気はないでしょうね」
大蛇丸は楽しそうに目を細めてぐぅっと片の口端を上げた。
「杏古也は暁に牡蠣殻捕獲を依頼するようよ」
「暁って」
笑いかけた藻裾は、ぐっと息を呑んだ。