第5章 藻裾の先行き
牡蠣殻を傷付けた仇は他にある。例え牡蠣殻が許しても、藻裾は許したくない相手が。
「あちこちややこしいことになってるみたいで」
大蛇丸は着膨れた懐から手を出して顎に指先を添え、唇の薄い口に切れ目のような笑みを浮かべた。
「まあこれも私たちが面倒なものに手を出したのがそもそもの始まりみたいだからね。興味がなくもないのよ」
懐から出た手が消え、袖口から現れる。色味の悪い手が藻裾の顎先に伸びて、その輪郭をなぞるように触れてまた引いた。
「牡蠣殻は、浮輪に請われて木の葉にいるわ。草の伊草と一平とかいう赤ん坊も一緒」
藻裾の大きな目が更に大きく見開いて視点を失った。見開かれた目に映るものは何の意味も持たず、何の情報ももたらさない。見ていながら見えていない状態。忙しなく動き始めた思考に集中して、五感の蓋が閉まりかけた。
「牡蠣殻は今、草からの訴えでビンゴブックに載ってるわ。結構な大首ね。賞金稼ぎと草も動いている。この状況で木の葉にいるのは悪くない判断かも知れないわね。あそこに居れば少なくとも昔の誼でお節介な綱手が牡蠣殻を含めた磯を保護するでしょう。最もその木の葉にも腹中の虫がいないでもないのだけれども?」
ビンゴブッカー?あの沸点が高く中道を地で行く牡蠣殻が、何故選りに選ってあの海士仁の馬鹿と同じ立場になるような真似をする?
「草におさまりかえった三代目の姉、あれは面白い女ねえ。手玉にとる男が奮ってるだけあるわ」
杏古也のことか。藻裾の目の焦点が戻った。大蛇丸にピントを合わせて、瞬く。
「杏古也様が何だってんです?」
「何って。牡蠣殻をビンゴブックに載せたのはあの女でしょう?」
「杏古也様が牡蠣殻さんをビンゴブックに載っけた?何で?」
「伊草を拐い出した罪ってとこらしいけど本当の理由は知らないわ。為蛍が死んだのも牡蠣殻に毒殺の嫌疑がかかってるみたいね。…牡蠣殻ねえ…?ちょっと会わない間に随分物騒なコになったこと」
「か…ッ、牡蠣殻さんはそんな…こと……」
しない、だろうか。もし、したら?
藻裾は口を噤んでまた目を見開いた。
長く慕ってきた深水師が死んだときの牡蠣殻の怒りと、投げ遣りで無気力な去り方。
人は人を全て知ることは出来ない。
自身ですら、善くも悪くも、思うようにあることが難しいのだ。そもそも善悪を決めることが難しい。