第5章 藻裾の先行き
「ば…ッ、こんなときだけ大事なことだから二度言いましたみたいな感じでずっと忘れてた名前を連発すんなよ!汚いぞ汐田!」
やっと雪溜まりから顔を出した水月が頭を振って雪を振り払いながら抗議した。青い顔が紫がかって、見だに寒々しい有り様だ。
藻裾は優しい目でそんな水月を見返して、優しい声で諭すように言った。
「肥溜めの話は終わりましたよ?それともまだ下の話がしてぇんデスか?下品な鰯さんめ」
「何の話?汚い。閉める」
スッと閉じかかった扉に藻裾がガッと足を突っ込んだ。
「入れて。寒い」
「中も寒いんだよ。あんま変わんないから入んなくても一緒だし」
香燐がにべもなく言う。藻裾はにやっと笑って扉をぐぐっと引いた。
「変わんないならアタシと代わりましょうよ。アンタが外でアタシが中」
「そんなん誰がうんって言うか。河童と外で遊んでな」
香燐がドスの利いた声で言うのに、水月はうんざりした顔をした。
「おい待てコラ。河童って誰のことだよ?」
藻裾が水月を振り返って、また優しく諭すように言う。
「アタシは河童じゃねぇから、オメェのこったろうな。色んな名前で呼ばれて賑やかだなー、スイミーは」
「……何だ、スイミーって?アンタら、薪拾いサボって何の話してんの?」
「アンチョビとシュールストレミングの話スかね」
「魚が食べたきゃ海か川に行きなさいよ。ホラさっさと行け。ついでに鮭でも捕って来なさいよ。そしたらサスケにお握り握ってあげられるしぃー、あーんとかしちゃって、旨いとか言われて抱き寄せられたりなんかしちゃったり……」
「しなかったり?サスケの好きなのはおかかだろ?鰹捕ってくるか?」
「……。うるせーんだよ、潮くせーんだよ。早く海に帰れ。磯女」
「ははは。磯女。妖怪みてぇだなー。失礼だなー」
「河童なんか思いっきりまんま妖怪だぞ」
「水溜まりは黙ってろ」
香燐と藻裾の声が重なって、ふたりの目が合う。香燐はフンと顎を上げ、藻裾はにっこり笑って扉を抉じ開ける腕に力を入れた。
「なーんで香燐はアタシにそう冷たいんスかね。寂しいじゃねぇですかよ」
踏ん張る香燐を扉ごと引っ張って、藻裾は肩の雪を払いながら中に入った。
「女ふたりなんだよー?仲良くしましょうや」
「ふたりじゃないかも知れないわよ?」
野太いカマ声がふたりの諍いに割って入った。