第1章 薬事場の三人
「妥当…。いや、ちょっと違うな…」
迎えに来た波平の意図を掴まないまま火影に会うのは剣呑だ。
…あれ?またやらかしましたかね、私。
口の端を指で押さえて、牡蠣殻は眉を顰めた。
相も変わらず周りの誰も彼もが綺羅綺羅しく見えるばかりの我の間抜けぶりに落ち込む。
まあ、薬事場が見れて良かった。
木の葉に根付いた磯人が暮らす場を垣間見れたのは嬉しい。綺麗に掃除られた辺りを見回し、こじんまりと、昔あった磯の家々を思わせる住居と作業場を連ねた通りを見渡して、牡蠣殻は腕を上げた。スィッと往路の乾いた砂が舞う。
「……あの…」
しかし失せるとは言え何処へ行こう。取り敢えず里外に出て波平の気配を待つか。生真面目なあの人の事だから、さしたる間もなく現れるだろう。
「あの…、牡蠣殻磯辺さん、ですか?」
ええ、確かに私は牡蠣殻磯辺ですがね。姓名纏めて呼び付けるのは止めて頂けませんか。厭なんですよ、ソレ。
大体今ちょっと忙しい…いや、忙しくはないが急いで…もないか。兎に角、誰かに見つかる前にここから失せたいと思……
「あの、牡蠣殻、さん?」
「え?」
かそけき声の主に目を向ければ、胸元で両の手を握り合わせてモジモジしている少女が目に入った。黒髪に白い肌、一風変わった大きな瞳が目を惹く。
牡蠣殻はポカンと見知らぬ少女を眺めて、頭を下げた。
「おはようございます」
少女はちょっと目を見開いて、それからあたふたと頭を下げ返して来た。
「お、おはようございます」
見合う事暫し。
「あの、失礼ですが、どちら様でしょう…?」
先に声をかけて来ながらモジモジしっ放しの少女に痺れを切らし、牡蠣殻が口火を切った。改めてマジマジと見る少女の顔は清楚で可愛らしく、独特な大きな目が矢張り人を惹く。
フと閃くものがあった。
何処かで似たような瞳を見た覚えがある。誰の瞳だったか、何故か知らんカレーが臭ったような気がした。
「…面識ありませんよね、あなたと私?」
「は…はい。ないと思います」
少女の答えに牡蠣殻は妙な顔をした。
「ありましたか?」
「いえ、ないと思います…」
ないと思うか…。
頭を掻いて、牡蠣殻は内心嘆息した。
切り上げ辛い。困った。
「あなた、私の名前を知ってらっしゃいましたね」
感じやすそうな相手を気遣いつつ、極力柔らかに聞く。