第8章 年納め
「わしだって遠慮くらいするわ」
「なら今日の呑みは遠慮しておくか」
「しない。そんな遠慮はわし大嫌い」
ふんと顎を上げて自来也は窓の外を眺め、降る雪にぶるっと体を震わせて腕組みした。
「寒そうじゃの。早く一杯やりたいわ」
「なら早いとこ行って来い。大丈夫、お前が手伝えるくらいには仕事を残しといてやるからな」
「そんな気遣い全然要らん」
「遠慮するな」
「その遠慮もわし嫌い」
「遠慮という遠慮が嫌いなんだろ。さっさと行って来い。磯の皆によろしくな」
「伊草も誘うのかよ」
草の高官で里を束ねる継承権を持つ伊草は、何かと気を遣わざるを得ない相手だ。しかも今は里を抜け出している身の上だから、接するにも何かと気骨が折れる。
「立場は面倒だが本人は至って気のいい好爺だ。波平と牡蠣殻を誘う以上伊草も誘っておいた方がいいだろう」
書類から目も上げずにしれっと言った綱手に、自来也とシズネが顔を見合わす。
伊草は腹が読めない。牡蠣殻に泣きついて草を出たのは跡目争いに巻き込まれるのを嫌ってのことと本人は言うが、これも俄かには信じ難い。継げばいいではないか。兄の跡を。跡目争いに敗れて命の危険があるというのならばまだしもわかる。だが、胡乱な策謀が暗渠する草の、増して宮内で生まれ育った伊草には危険を躱し、身を守る術が身に付いている筈だ。相応の立場にあり相応の人脈もある筈の壮年の男が、尻尾を巻いて逃げ出すような状況か?-本人を見れば多少納得出来なくもないが、腹に一物あるのではないかという疑いは当然ある。
だから伊草を出来るだけ一人にしないようそれとなく牡蠣殻に言ってある。綱手はこの話を敢えて理由も言わずに切り出したが、牡蠣殻は何も聞かずにあっさり呑んだ。これもまた腹案がありそうに思えるが、単に牡蠣殻がそういう人間だという気もした。問い返されたときの半分言い訳半分本音の答えを喉元に溜めていた綱手はそんな牡蠣殻に気抜けした。
牡蠣殻という女はあまり周りに興味がなさそうだ。一平に手を焼く余り、他に目がいかないだけのことかも知れないが。
いずれにせよ、牡蠣殻と伊草には見張りを付けてあった。里を抜けた伊草とビンゴブッカーの牡蠣殻、二人への気遣いもあるが用心の為でもある。厳重にではないがそう弛くもない監視の目が常に二人の動向を伺っているのだ。