第8章 年納め
綱手は筆をとって、その尻骨でこめかみを掻いた。無精たらしい仕草だが、綱手にかかればそれさえも綺麗に弧を描いた紅色の唇に得も言われぬ愛嬌があって絵になる。
「大晦の鐘が鳴るのが早いか、仕事が上がるのが早いか賭けないか。負けた奴が今日の呑み代を持つ。どうだ」
自来也とシズネ顔を見合わせた。
「年を跨ぐ寿ぎの習わしに賭け事を持ち込むのはどうかと思いま…」
「乗った!無論呑み放題の食い放題だよな!?二次会三次会ありだよな!?」
「年越しに野暮はなしだ。無論無制限の呑み放題に決まっている」
きりりと言い放って綱手は窓表の雪に目を眇めた。
「しかし凄い降りだな。これじゃ初詣もひと苦労だ」
「それもまた一興。雪に降り込められた新年も悪かなかろ」
「薬事場は大事ないかな。少し前に屋根の普請をしていたろう」
綱手の問いにシズネが笑って答える。
「もう済んだようですよ。年越しに磯影が見えると聞いて張り切ったようです」
「そうか。波平が来てるんだったな」
綱手は口の端に笑みを浮かべて書類に筆を走らせた。
「ならあいつも誘うか。久しぶりに酒豪の磯者と呑み比べするのも悪くない」
「えぇ?誘っちゃうのか、あいつも」
自来也があからさまに厭な顔をした。
「何だ。厭か」
「厭じゃ」
「…そういうところだぞ、自来也。大人になれ」
「わざわざなろうとせんでもわしゃとっくに大人じゃもん」
「言い方。じゃもんじゃないだろ。気持ち悪いな」
「あんなザルを呼んだら酒なんか舐めたようになくなって、面白くもなんともない呑み会になっちゃうぞ」
「酒豪であっても意地汚くはないから大丈夫ですよ、あの方は」
シズネが口を挟む。
「お二方の方が余程呑み汚いです」
「…シズネ」
「言い方よ」
「本当のことですからね。羽目を外しすぎないように気を付けて下さいよ」
処理の終わった書類をまとめて、シズネは自来也と綱手を見比べた。
「磯影をお誘いするなら使いを出しますがどうします?」
「そうだな。ついでにアイツにも仕事を手伝って貰うか」
「手伝わせるんじゃなく全部やらせちまったらどうだ」
「お前ホントに波平が好かんのだな。一体何なんだ、その変は対抗心は」
「アイツは親父似だからな。まずそこが気に食わん」
「そりゃアイツのせいじゃないだろ」